(映像)天一国経典天聖経訓読映像(第一篇 二章 一節 7~14項)

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7 今日の「私」はどのような心情でさまよい、どのような視線と、どのような五官をもって生を営んでいるのかを考える前に、皆さんはまず「天よ!私は、心情に対する感覚をもって生涯を生きていますので、昔、エデンでアダムとエバが堕落する前に神様と向き合っていた心情と、堕落したときの心情、神様がアダムとエバを追い出された心情、この人類をつかんでノアを立てる時まで千六百年の間苦労された神様の心情、ノアが百二十年間、山の上で箱舟を造ったとき、激しい冷遇と虐待を受けながらも天に従って苦労したその心情、紆余曲折と千態万象の歴史過程を経てきた神様の心情を、自分のものとして一度生きてみたいです」と言うことができなければなりません。

 

8 生活感情で、私たちが、神様の感情と共感した感情を、いかに感じるかということが問題です。一人でいれば、思わず「お父様!」と呼び求めることができなければなりません。そうすると、神様から「どうした!」と答えが返ってくる感覚を受けるようになります。一体になれば、そうなります。誰もいないようですが、誰かが私を主管し、指導しているというのです。そのような生活圏内に入った人ならば、神様がいる、いないということが問題にならず、困難にぶつかれば、必ず「私」を擁護してくれ、導いてくれることが分かる立場なので、神様を裏切っていくことはできません。

 

9 神様も、情、知、意をもっていらっしゃいます。神様から造られた人間に情、知、意があるのですから、神様は言うまでもありません。たとえこの地上の人類が堕落の子孫だとしても、本来は神様御自身の血族であり、直系の息子、娘なので、失った息子、娘を捜し求める父母以上の心情で歩んでこられたお方が神様です。ですから、私たちがこの地に対して涙を流し、死と苦痛で倒れ、悲哀に満ちて悲しむ場面が、正に神様の悲哀と悲しみが反映された場面、場面なのです。ですから、善良な人を蔑視し、善良な人を迫害し、善良な人の命を奪った個人、家庭、民族は長続きしません。神様がそれを記憶するからです。

したがって、私たちは自らの涙が落ちるたびに、天の涙が落ちることを知らなければなりません。怨讐に対して無念で悔しい思いが湧き起こるたびに、神様が赦しの涙を流されることを私たちは知らなければなりません。恨みを晴らしても、「おい、こいつ、お前は、よくぞ死んだ」と言う神様ではありません。人を怨讐だと思って打つのではありません。

 

10 先に与え、打たれて復帰してくる神様です。皆さんもそうでなければなりません。神様の悲惨な経綸も、私たちのためです。「お前と共に語り合い、お前と共に働きたい」と言いたい神様の歴史的な心情を知らなければなりません。神様は、忘れることなくお待ちになります。「私」はいつ神様の復帰摂理に同参(一緒に参加するできるかを考えてみなさいというのです。神様と共に住むことができる生活舞台を見いださなければなりません。そして、神様のように考えることができ、語ることができ、行動することができる道を求めていかなければなりません。

 

11 神様は、全天宙を創造された創造主であると同時に、私たちの真の父です。その真の父は私たちを訪ねてこられるでしょう。どのような運命の紆余曲折に置かれても、それを越えて、その真の父のみ手をつかみ、歴史的な願いと自分の生涯の願いの心情を抱き、「私の父よ!」と最後の一言を残す時まで、人間は行かなければなりません。死の道が横たわっているとしても、そこまで行かなければなりません。終わりの日に、人類の中でそのような道を走っていき、創造主であり、絶対者である神様に対して、「私の父よ!」と呼び求める群れが現れるようになるとき、そこから神様の新しい経綸が始まるのです。

 

12 私たちがより良い善を指向し、より美しい美を求め、より情的な愛を探し求める一番の目的とは何でしょうか。それは、創造主の天的な心情と関係を結ぶことです。このような見地において、神様の心情、天倫の心情、人倫の心情を探るとき、これらの心情が一つの目的に向かって正常に動いているのかといえば、そうではないというのです。人間社会における人倫と摂理の法度に従って動いている天倫は、方向が異なっています。このような事実は、堕落の結果です。堕落によって創造主の心情と天倫の心情、人倫の心情が相反しているという悲しい事実を知らなければなりません。

このような自分たちだということを認識し、このような社会だということを認識し、このような世界だということを認識して、歩みを止めて再び復活した被造世界を見つめようとし、創造主の心情を再び見つめようとし、社会の実状を再び見つめようとし、自分の心と体に再び注目しようとしなければなりません。このようにしなければ、新しい理念の世界、新しい情的な世界は、人類歴史に登場できません。

 

13 天の勇士になろうとすれば、神様の心情を知らなければなりません。国の忠臣になろうとすれば、国王の心情を知らなければならず、父母の前に孝子になろうとすれば、父母の心情を知らなければならないように、天の勇士になろうとすれば、神様の心情を知らなければなりません。神様の創造前の心情と創造当時の心情、また創造以後、人間が堕落する時の悲しい心情と、その悲しい心情を抱いて復帰歴史を綴ってこられた復帰の心情、そして、復帰したのちの世界を希望される、その心情を知らなければなりません。

 

14 統一教会で言う神様の心情は、長く、大きく、深いものです。創世前の神様の心情、創世当時の神様の心情、創世以後、アダムとエバが堕落する時の神様の心情がどうであったかを知らなければなりません。アダムとエバが堕落して、神様の胸にどれほど大きな釘を打ち込んだかを知らなければなりません。堕落した以後にも、神様がどれほど悲しまれたかを知らなければなりません。また、復帰路程を歩んでこられながら、どれほど悲痛な心情をもって訪ねてこられたかということを知らなければなりません。復帰の世界をつくるために、御自身の息子、娘たちを凄惨な死の峠に追い立てながら、耐えていきなさいと告げられた神様の心情が、どれほど悲痛だったかを知らなければなりません。そうして最後の一つの中心存在を通してこの罪悪世界を清算し、神様の心情的な恨を解いてさしあげてこそ、み旨は成就するのです。