「真の父母経」-第三篇、第三章、四節-10

10    草創期に伝道に出ていた責任者たちは、迫害が激しいので、これ以上ないほど寂しい思いをしたのです。互いに消息が分からず、気になれば、中高生や大学生たちを通して連絡を取り合って会うのです。ところが、その距離が大概、五里、十里です。「いついつに二人で会おう」と言って中間で会うことになります。五里の道なら、二・五里ずつ歩いてきて会うのです。(しかし、)会う場所があるでしょうか。ですから、十字路や派出所の前、橋の下など、名が知られている所で会うのです。そのようにして会っても、食べる物があるでしょうか。そのように久しぶりに会ったなら、昼食を食べるとか、夕食でも一緒に食べなければならないのが人情の常であるにもかかわらず、そのようにできない立場で別れるのです。その中には、兄のような人もいて、姉のような人もいて、弟や妹のような人もいます。そこで交差する心情の切なさは、到底言葉に表すことができません。

ですから、過去に自分の兄弟や父母を中心として暮らす中では、もつことのできなかった情熱を、投入するようになるのです。「今度来る時は、何としても昼食を御馳走してあげなければ。鶏肉を買ってもてなそう!」と思ったあと、一週間働いてでもそれを準備するのです。そのようにしながら、働いたという話はしません。あとで、働いてそれを買ってきたという事実を知った時には、血が沸くのです。感激して涙を流すようになれば、口元が先に震えます。そのような境地で再び会えば、二人で抱き合い、祈りながら張り上げる声がどれほど大きいか分かりません。近所の人たちが周りをぐるりと取り囲んでいることも知らずに祈った、当時のそのような出来事は、すべて歴史的な資料となるのです。

(CBG B3-C3-S4-10)