「真の父母経」第五篇、第二章、第一節:22

このような事情を展開させたこの師にも、責任があります。ですから、父母様が願うのは、皆さんがそのような立場に立つとき、誰かに対して不平を言ってはいけない、ということです。

22    私たちは、「天国を成し遂げた」と言って笑う声が、三千里半島と全地球上に高々と響き渡る、その日のために行進しなければなりません。このような立場にいる私たちなので、休む暇がありません。御飯を食べていても、涙を流しながら痛哭する統一信徒たちにならなければなりません。

なぜ、そうでなければならないのでしょうか。神様が願った(地上)天国を築いてさしあげ、イエス様と聖霊がすべては成し遂げることができなかった恨と、満足に食べることもできずに祭物の過程を経ていった千々万の聖徒たちが、地上天国を完成することができなかった復帰の恨を解いてあげるためです。そのようにしてこそ、彼らが解怨成就されるのです。このような途方もない内容を知り、この途方もない使命を背負った私たちに、休む暇がどこにあるのかというのです。脚が折れるとしても、死ぬとしても、全力を尽くして行かなければならない復帰の道が残っています。ですから、父母様は皆さんに「三年路程を行きなさい」と命じました。

その道を行くときには、誰もが死を覚悟しなければなりません。一片丹心で自分が立てた志を果たすためには、寝ずにおなかをすかせながら、冒険をしてでも行かなければなりません。このような事情を展開させたこの師にも、責任があります。ですから、父母様が願うのは、皆さんがそのような立場に立つとき、誰かに対して不平を言ってはいけない、ということです。

皆さんはそのような立場で倒れ、犠牲になっても、嘆いてはいけないというのです。天国を建設するために足場を築く勇士に対して、どうして怨讐の矢が向かってこないでしょうか。どうして怨讐が自らを包囲することがないでしょうか。そのようなことがあり得るというのです。

しかし、師のために、神様のために生きる思いは、自分自身のためのものではなく、この民族のためのものであり、世界のためのものです。ですから、その場は神聖な場です。たとえその道が遠くても、近道を探し求めて、喜んで行かなければならないのが、統一勇士たちの歩みです。

(015-342, 1965/12/07)