「真の父母経」第五篇、第二章、第三節より

12    お父様は、地方巡回をたくさんします。江原道の険しい道を自動車で走りながら感じたことは、「道が少しだけ、一尺だけでも広ければ」、という残念な思いでした。それは、運転手と搭乗者が共通に感じたことでした。私たちは、個人や家庭がかろうじて通れる狭い道を築いてはいけません。道を築くときに、さらに苦労して犠牲になったとしても、広く築かなければならないというのです。

それでは、歴史的な運命の道を開拓する統一教会の食口たちは、どのような道を築かなければならないのでしょうか。私たちは、この民族と世界人類のために歩む開拓者です。

皆さんには、目に見えないつるはしと熊手鍬(くわ)を持たせています。子孫たちから、「これは、もう少しこのようにしてくれていればよかった」という評価を受けてはいけないのです。「私たちの先祖はどのようにしてこのような道を歩んだのだろうか」と振り返らせることができる道を築かなければなりません。皆さんは、そのような道を築かなければならない開拓者です。

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15    自分が困難な環境に置かれているとしても、その環境を批判してはいけません。すべての環境と条件を消化する立場にならなければなりません。皆さんはそのようにしようと誓って進み出た身なので、不平を言ってはいけないというのです。自分自身だけを考えてはいけないことを知って、公的な立場を取って進まなければなりません。

皆さんは、天地を身代わりし、全体のみ旨を身代わりした宇宙史的な立場です。ですから、責任をもつ立場で覚悟と誓約をしなければなりません。伝道師の修練を受けたあとは、指導者の立場に立って進まなければなりません。

18    私たちに悲しみがあるとしても、神様の悲しみを知る私たちは、それを嘆くのをやめましょう。民族の前に進み出て、「あなたたちのすべての悲しみを私たちに告げなさい」と言いながら、彼らの悲しみに責任をもち、死と犠牲と忍耐で防ぎ止めようと進み出る群れがいるとすれば、その群れは神様のみ旨を身代わりした生きる実体として、この地上の善と悪を審判できる主人になります。

神様はどの民族、どの教派からそのような群れが現れるかと、六千年間、待ち望んでこられました。私たち以上に苦痛を受け、私たち以上に死の峠を越え、私たち以上に哀痛な曲折の心情を抱き、安息の基盤を探し出せないまま、苦しみながら訪ねてこられたのです。

私たちは、このような父の姿を理解してさしあげなければなりません。父のこのような姿を知り、父が歴史路程において苦労されたのも「私」のゆえであり、この時代において摂理のみ旨のために苦労されるのも私のゆえであり、未来の希望のために苦労されるのも私のゆえなので、私のために苦労される父のみ前に孝子になるべき定めがあることを知らなければなりません。

これに対して「万民に代わって責任をもとう」と言って立ち上がれる人たちだけが、新しい時代の役軍になるのであり、新しい時代の天の仕事を引き受けて処理できる人になるのです。

19    伝道師修練会を終えた皆さんは、韓国の各地に出発しなければなりません。国を思って憂える人は愛国者であり、神様を思って憂える人は神様の息子、娘です。国のために働く人は、国の将来のために心配する子女を生むのです。世界的に見るときにも、このような民族と国民をもった国は滅びませんでした。そのような人々だけが、古い歴史を正すことができます。

皆さんは、神様の心情と願いと事情に一致する人にならなければなりません。自分の体と心の生活のことを心配しないでください。まず、訪ねていく村のことを心配してください。そこにも、神様の願いと事情と心情があります。皆さんの憂いは、罪悪の息子、娘たちを神様の息子、娘にするためのものでなければなりません。今日、個人、社会、民族、国家、世界を、神様が憂えていらっしゃることを忘れてはいけないのです。お父様は、四十年の生涯において、これを一時も忘れたことがありません。

21    一九六四年四月、大邱で原理大講演会が成功裏に開催されました。神様が私たちと共にいらっしゃるので、勇気を出して闘わなければなりません。天地が変わっても、「私は不変だ」という信念をもたなければなりません。歴史と天と地にしみ渡ったアベルの恨を私の体で蕩減し、天の歴史を創造しようという信念に燃えなければなりません。神様の恨を解いてさしあげ、イエス様に代わってみ旨を成し遂げてさしあげようという信念に満ちていなければなりません。

天と地はすべて神様のものであると同時に、私たちのものです。大勢が変わり、今や誰も私たちを迫害できなくなりました。

山奥で飢えて苦しむ民の悲惨さは、正に過去の神様の立場と同じです。かわいそうな民を見るとき、手を握って痛哭しなければなりません。神様の子女になるべき彼らが、怨讐の前に抑えつけられているので、その悲惨さを見て、痛哭しなければならないというのです。皆さんは、飢えても落胆せず、彼らのために痛哭する忠臣にならなければなりません。神様と父母様の心情に代わって痛哭できる子女が、真の子女です。

きょうの飢えと悲惨さは、未来の栄光と喜びになるでしょう。皆さんは、民族と国民を愛さなければなりません。父母様が生涯、天に対して抱いた不変の心を皆さんが手本とし、疲れることなく、青春(を謳歌できないこと)を嘆かずに、不変の心で血と汗と涙を流さなければなりません。