無用な心配はせずに、神様と連結される人生を考える

~世界家庭:2016-08;李海玉先生のメッセージ(2016-06-19)より抜粋

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何のために生きるかが人生のポイント

私が今、お伝えするこのメッセージは、家庭連合のメンバーのためだけのものではなく、全ての人に伝えるメッセージです。

皆さんが霊界を信じようと信じまいと関係なく、霊界は今、皆さんが生きている現実の世界より、さらに確実に存在します。また、皆さんが宗教を持っていようが持っていまいが、皆さんは天の父母様から創造された子女たちです。この霊界は、永遠であられる天の父母様が愛で支配する世界です。その霊界で、皆さんが地上で天の父母様と天の父母様の代身者として来られた天地人真の父母様と連結されていなかった人生がどのように映るか考えてみたことはありますか?

真のお父様は、全ての人間は、死んで霊界に行くと、地上で生きた全ての人生を、まるでビデオのように見るようになるとおっしゃいました。ですから、今、その状況を事前に一度、想像してみましょう。

皆さんの地上での人生において、ただ肉身のために毎日食べて、寝て、買い物をして生きたとしたら、それを記録したビデオはどうでしょうか?多分、皆さんの人生はつまらないものと感じられることでしょう。そうではないですか?

霊界で皆さんの人生のビデオを見るとき、誰かのために犠牲になったこともなく、自分たちが好きで選んだ夫婦でも毎日けんかし、自分が生んだ子供も憎くなることもあってお互いに葛藤し、最後には会話もせず、ただそのように生きて霊界に来たという内容であれば、感動しますか?この場で正直に考えてみてください。皆さんの今の人生に、喜びと感動の涙が出るポイントがあるでしょうか?

あるテレビドラマが、何のメッセージもなく、感動もなく、ただ男と女が出会って子供を生み、老いて死んだという内容であれば、誰がそのドラマを見るでしょうか?多分、主演俳優もそのドラマを見たくないでしょう。そのような感動のない作品を見て、「私がなぜこのようなつまらない作品に出演したのだろうか」と後悔することになるでしょう。

霊界で自らの人生を見たとき、その人生はどのように見えるでしょうか?これはとても深刻な話です。私たちが誰かの人生を通して感動を受ける部分があるとしたら、それは正に、その主人公が他の人のために犠牲になっている場面です。私たちは、そのような人生を見て感動を受けます。

十数年前に(二〇〇一年一月二十六日)、東京•新宿の新大久保駅で韓国の青年が、ホームから転落した日本のかたを助けるために線路に飛び下り、犠牲になった事故があったでしょう?その青年は韓国人でしたが、他の人のために自分の命を犠牲にしたので、全ての日本国民がその青年を貴く思い、感動を受けました。その韓国の青年が、国家という障壁、言語という障壁、民族という障壁など、全ての障壁を飛び越えて自身を犠牲にしたということが感動を与えたのです。

頂上まで登った者だけが栄光の億万歳を叫ぶことができる

ここに座っていらっしゃる皆さんの中で、「私は真の父母様に必ず会わなければならない。私は必ず『原理』を勉強しなければならない」と決心して来られたかたはいますか?いないでしょう?

ところが天の父母様は皆さんを知っておられ、選ばれ、召され、そして栄光を与えてくださるために、皆さんがこの場に来て座るようになさったのです。「栄光を与えてくださる」というこの言葉が、どういう意味か分かりますか?あるかたは、「私は真の父母様に従ってから長いけど、まだ栄光を与えてくださっていないのに……。大変なだけなのに……」と考えるかもしれません。

例えば、子供たちに「山に行こう」と言うと、みんな喜びます。初めの二〇〇メートル、三〇〇メートルを登るときは、ぴょんぴょん跳ねて登って行きます。そして「自分のかばんは自分で背負っていく」と言います。ところが五〇〇メ丨-rルほど登ると、まずかばんを下ろしてお父さんに渡し七〇〇メートルくらい登ると、「足が痛くて歩けない」となります。後には、「下りる」とだだをこねたり「おんぶして」と言います。そうでしょう?ある人は今、そうしているのではないかというのです。心の中では「ここまで来てみると、とても大変だな」と言っているというのです。

昨日登った青森の山も、登るほどに大変なのです。ところが、大変でも頂上まで放棄しないで登った者だけが、最後に栄光を与えられるのです。(拍手)いくら多くの人が山に登っても、このてっべん、頂上まで登らなければ、栄光の億万歳を叫ぶことはできません。涙が出る感動も体験できないのです。

このように、全員が全く同じ祝福を受けたとしても、頂上まで登ってその祝福の栄光を相続できなければ、自分のものにはならないのです。

地獄のような場所で感謝の祈りをささげられたお父様

皆さん、考えてみてください。普通の人の場合、監獄に入ってひどい拷問を受けたら、その後遺症はとても深刻です。

ところが天地人真の父母様は、そういう経験を六回もされました。普通の人であれば、「神様は私をお捨てになったのだな」と、全て放棄したでしょう。そして、「神様が私を愛していらっしゃるなら、なぜ私はこのように無念にも、世の中から憎まれ、監獄にも何度も行かなければならないのだろうか」と懐疑することでしょう。

天地人真の父母様は、全人類の罪を代身して背負われ、ご自身の過ちでもないのに、六回も監獄に行かれました。ところで、さらに驚くことは、真のお父様は監獄に行かれることを、むしろうれしいとお考えになったことです。そして地獄のような監獄の中耐えられない状況でも常に天の父母様に感謝の祈祷をささげられました。

真のお父様は、(一九四六年)北で南のスパイだと誤認されて大同保安署に拘束されたとき、とてもひどい拷問を受けられました。保安署では、「放っておけばどちらにしても死ぬ。そうなれば、死体処理も厄介だ」と、お父様をそのまま外に捨てました。そのとき、天の啓示を受けた食口が捨てられたお父様を発見し、看護したのです。

このとき、真のお父様が、死のふちから帰ってきたのちに作られた聖歌があります。それが正に、皆さんがいつも歌っている「勝利者の新歌」です。その歌は歌詞もそうですが、それを歌うメロディーもどれほど明るいかしれません。「ホザナの栄光を〜」、このようにものすごく明るいのです。本当に喜びに満ちあふれ、自身が神様の愛を受けていることがとても感謝で、「私は勝利した」ということを歌っているのです。お父様は、体中が傷つき、血を吐いて立ち上がることができない状況になっても、「私は勝利した」とおっしゃるのです。

真のお父様のそのような人生は、サタンまでも感動させました。お父様のそのような血涙の流れる犠牲の条件があって、今日皆さんがこの場にいるのです。

真のお父様はこのようなみ言を語られました。

「イエス様は本当に福が多い人だ」

ところでイエス様が、何がそんなに福の多い人ですか?悲惨な立場で生まれ、お父さんが誰かも分からない状況でした。大工をしながら生きました。社会の階層で見れば、貧民層にあたる背景を持って成長されました。そして最後には、犯罪者の名前をつけられて十字架で亡くなりました。そんなイエス様の、どこがそんなに福が多い人ですか?

ところが真のお父様のみ言によると、「イエス様は三十三年という短い生涯を生き、三時間に及ぶ闇のなかを十字架で亡くなられたので、苦痛の時間は短かった」ということです。皆さん、お父様は何歳まで生きられましたか?九十三歳(数え)でした。お父様はイエス様より何歳多く生きられましたか?九十三引く三十三は、幾つですか?約六十年多く生きられたではないですか。

イエス様は十字架を一度負われましたが、真のお父様は地獄のような監獄に六回も行かれ、その他にも多くのむちを打たれ、肉身の十字架よりもさらに大変な「心情の十字架」を六十年多く負われました。そのような犠牲の土台の上に、今皆さんがここに座っているのです。

生まれた祖国、日本、米国、全世界から、真の父母様のようにたくさん苦しめられた人はいません。真の父母様は天の父母様の愛だけを受けて、今日この位置まで来られたのではありません。むしろ世の中から苦しめられ、勝利してこの位置に来られたのです。皆さんが真の父母様を本当に愛し、真の父母様から栄華と栄光を受けようとするなら、まず、心情の十字架を勝利された真の父母様の心情世界を相続しなければなりません。

私たちは真の父母様の精誠で生かされている

きょうこの場には三百人ほどいらっしゃいますが、実際にはそれ以上の数え切れない人がいます。私たちの肉身の目では見えないですが、今、皆さんの先祖たちが皆さんと共にこの場に来ています。なぜでしょうか?皆さんの先祖たちも天地人真の父母様に会うために来ました。

先祖たちが霊界に行ってみると、真の父母様を通して心情を相続してこそ、霊界で神様に会うことができるということを知ったので、皆さんについて来たのです。今皆さんに見えないので分からないでしょうが、霊界から見れば、全てのことが明らかです。ここに一人で来られたかたはいません。全員、先祖たちがついてきています。今、私たちの生活を霊界がどれだけ注視しているか、皆さんは分からずにいます。

総会長と私が日本に来て三年と少したちましたが、正直、さまざまなことで大変苦労しました。日本での総会長の役割はとても大きく、非常に困難です。先ほど安榮燮(・第二)地区長が総会長のメッセージを伝えましたが、総会長が皆さん一人一人の事情を全て聞いて、いつも皆さんのことを考え、全国の全ての食口たちを心配しながら生活していると想像してみてください。どれほど大変でしょうか。

私は数日前、啓示に近い夢を見ました。夢の中で、空に高速道路がありました。その高速道路を、車に乗って進んでいます。総会長と私は後部座席に座っています。前では真のお母様が運転をしていらっしゃいました。運転をされる真のお母様は、ハンドルを両手でぎゅっとつかみ、集中して前を見ながら進んでおられるのです。お母様はしっかりその姿勢で運転して行かれるのです。

ところが真のお母様は、まるで車を引っ張っているかのように大変そうに見えました。目に見える高速道路はアーチ形になっているのですが、ほぼ真上まで来ました。その真上の上が見えます。もう少しだけ行けば、頂上まで行くことができます。しかし、その車がとても苦労して登っています。そのように、お母様がとても苦労して運転をされるのに、後ろでただ楽に座っている私の心はとても苦しかったのです。

私はその夢から覚めて・・・・。皆さん、この夢がどういう意味なのか、解釈できるでしょう?

私たちの肉身の目だけで見てはいけません。別のことを考えていては、絶対にいけません。今、私たちの前で、天地人真の父母様が直接私たちを連れて行ってくださっているのです。私も、私が自分なりに一生懸命に仕事をしていると思いました。しかし、実は私たちを乗せて先頭で苦労して行かれるかたは、天地人真の父母様でした。

無用な心配はせずに、神様と連結される人生を考える

皆さんお金の心配をたくさんされるでしょう?全て無用な心配です。この地上で生きながらする心配は、九九・九九パーセントが、全て無用な心配です。皆さん、日本に生まれたではないですか?日本でお金がなくて飢えて死んだという話を、私はまだ聞いたことがありません。このように全ての社会システムがしっかり整っている国に生まれるようにしてくださったことだけでも、天の父母様はすでに、皆さんにとてつもない祝福を下さいました。(拍手)

皆さん、天の父母様に心から感謝しなければなりません。もし皆さんが北朝鮮に生まれていたら、どのようになっていたでしょうか?「ああ、私は日本人だから、そんなことは起こるはずはない」と言うでしょうが、それは天の父母様がお決めになります。皆さんが生まれるとき、「私は日本に生まれよう」と決心して生まれましたか?全て天の父母様が下さったものです。

それで天の父母様が準備してくださった美しい家で、朝、昼、夜と天の父母様が与えてくださったご飯を食べて、天の父母様が準備してくださった服を着て・・・・。ところが、そのように生きながら天の父母様に一度も挨拶しない人がいます。父母がいるのかも分かりません。それに対して悩みもしません。そこで、このような人を指して聖書では「生きているというのは名だけで、実は死んでいる」(黙示録三・1)と述べているのです。

そしてこのような人生を生きた人たちは、肉身の死と同時に霊魂も天の父母様と関係のない所に行くのです。これは本当に、とても深刻な問題です。今、学校はもちろん他のどこでもこのようなことは教えません。そのため、この家庭連合(旧統一教会)で知らせる驚くべき「原理」のみ言を通してのみ、皆さんの本来の価値を取り戻すことができます。

人間は牛や豚のような動物ではありません。豚であれば、今朝も「主人が私にご飯をくれるかな?」と悩むでしょう。皆さんがもしそのように常に食べるもの、着るものだけを心配して生きるとするならば、動物と同じレベルになってしまいます。

「私はこの肉身を使って生きながら、どのようにしたら永遠なる天の父母様と連結されることができるか?どのようにしたら天地人真の父母様の心情を相続することができるか?」について、毎日毎日考えなければなりません。

最高の苦痛を超えた瞬間天の心情が完全に相続される

私たちが今いるこの位置がどれほどとてつもない位置なのか、皆さんは想像もできないことでしょう。あまりにも多くの愛を受けていると、その愛がどれほど特別なものか、分からなくなります。皆さんが今苦労して、難しい内容があるなら、正にそれが祝福です。なぜなら、その苦労を通して、真の父母様が勝利された心情を皆さんに相続してくださろうとしているためです。皆さんは、このような真の父母様の心情を相続することができなければ、霊界に行っても真の父母様と何の関係もありません。

皆さんが今、苦労を克服して、この苦労にむしろ感謝するようになるとき、皆さんの人生には涙の感動があり、誇る内容ができます。そのとき、初めて「天の父母様は私を知っておられ、選ばれ、召され、私に栄光を与えてくださる」という最後のポイント、「栄光を与えてくださる」を成せるようになるのです。

登山をするとき、最高の苦痛を超えた瞬間、頂上に上がるように、皆さんが今この瞬間、この重要な摂理の最後の峠を越え、天地人真の父母様と完全に一つになって頂上に立つとき、皆さんに真の父母様の心情が完全に相続されます。

(「アーヂュ」)

霊界では、今、先祖同士が争っています。皆さん、自分の先祖を連れて来たいでしょう?そうです。天地人真の父母様がこの地上にいらっしゃるとき、先祖たちが(私たちを通して)真の父母様にお会いできる確率はどれくらいになりますか?二千年前、イエス様が来られたときも、誰もが皆イエス様に会ったのではありません。また、会った人全てが天から栄光を与えられたわけでもありません。会うことも難しく、会ったとしても栄光を与えられる段階にまで登ることも難しいことです。

易しい道を行きたいなら、行ってください。その道を選択することは、百パーセント皆さんの自由意志です。しかし、頂上で栄光を与えられる段階まで行きたいのなら、他の道はありません。正に、真の父母様の心情を完全に相続することでのみ、成されます。(拍手)

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