十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、…新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです

これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界により光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。

11    孤独な道を一人、開拓者の使命と先覚者の使命をもってたどってきても、お父様は、孤独な立場でぶつかる出来事について、一切話しませんでした。命を懸けてきましたが、私は孤独な人ではありません。皆さんの同情も要りません。私は幸福な人です。

天地の大主人であられる神様が、私を理解してくださるので、いくら拷問で血を流し、身が引き裂かれ、筋が断ち切られる立場になっても、私は不幸ではありません。愛する息子をこのような立場に立てられた神様の心情は、それ以上に切ないことを知っているので、不幸ではないのです。その場で天をつかみ、天を慰労できる国を探し出そうと苦労しているので、どんなに拷問がひどくても、それが問題ではありません。重なり合う十字架の道が立ち塞がっていたとしても、その十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、お父様はそこで、新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです。

12    今までの歴史の過程を見る時、歴史の主人公は、その時代で受難の峠を克服しながら、その国の希望を抱いて闘ってきた人たちです。そのような人たちが、歴史の主人公です。聖賢たちは、天意に従い、人間の世の中で肯定するものを否定するのみならず、世の中の方向を変え、希望の世界に向かって自分の一身を捨てて、その理念とともに環境の試練を克服してきた人です。

その聖賢の人生は悲惨ですが、その心の内で受けたすべての苦しみが、かえって喜びの世界と関係を結ばせる動機になったのです。

これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界により光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。

~~「真の父母経」第七篇、第二章、第三節より