初愛を独占できる息子なのです。その次に、ひとり娘がいなければなりません。

ひとり子は、初愛を受けることができる王子です。神様の息子の中でも、初愛を受けることができるひとり子だというのです。初愛を独占できる息子なのです。その次に、ひとり娘がいなければなりません。新郎はひとり子であり、新婦はひとり娘です。結婚式をしなければなりません。それが「小羊の婚宴」です。主がこの地上に来て婚宴をするのです。

~「真の父母経」第一篇、第二章、第一節より(メンバーサイトに全文掲載)

1     本来、人間始祖は、善なる父母として出発しなければなりませんでしたが、悪なる父母として出発したため、人間は、すべて悪なる父母の血統を受け継いで生まれました。神様の愛を「私」への愛としてそっくりそのまま受け、神様の懐に抱かれて、神様の直系の愛を通した血族として残された息子、娘にならなければならないのですが、そのようになれなかったというのです。ですから、その本来の立場に帰らなければなりません。これが正に、新郎と新婦を迎える「小羊の婚宴」です。

主がこの地上に新郎として来て、一人の新婦を探し、一つの基準の上に接ぎ木しなければならないというのです。それがキリスト教の主張する内容です。その基準を設定し、確固たる目的を立てた宗教が、キリスト教です。ですから、今日、民主世界がキリスト教文化圏において発展するのです。真の父母を迎えようとすれば、そのように発展しなければなりません。

今まで宗教は、一人の真の息子をつくるために努力してきました。神様は、一人の真の息子を探し出すために、今まで苦労されたというのです。ですから、世界宗教の教主たちの中には、女性がいないのです。(041-028;1971-12-12))

2     数多くの宗教の経書の中で聖書が偉大なのは、神様が人類の親であると掲げてきたからです。これがキリスト教思想の源泉です。その次に、イエス様は「ひとり子である」と言いました。ひとり子は、父なる神様の愛を初めて受けることができる息子です。その次に、キリスト教思想は新婦思想です。イエス様はそのようなひとり子なのですが、新郎として来たのです。そのため、新婦が必要です。ひとり子がいるので、ひとり娘が必要だというのです。

新郎と新婦は、男性と女性です。新郎新婦の宴の日とは、神様が初めて愛の旗を掲げて現れる日です。そのような婚宴の席が、エデンの園から願われてきたのです。これが台無しになったので、人類世界の終末において、この婚宴の席を再び回復しなければならないというのです。(135-125; 1985-10-04)

3     イエス様は、「私は神様の息子だ」と言いました。そして、「神様は私の父だ」と言いました。その次に、「私はひとり子だ」と言いました。ひとり子は、初愛を受けることができる王子です。神様の息子の中でも、初愛を受けることができるひとり子だというのです。初愛を独占できる息子なのです。その次に、ひとり娘がいなければなりません。新郎はひとり子であり、新婦はひとり娘です。結婚式をしなければなりません。それが「小羊の婚宴」です。主がこの地上に来て婚宴をするのです。

「小羊の婚宴」をするようになれば、家庭をつくるようになります。神様が願うものが家庭です。神様が願うのは、人類を神様の愛を中心としてひとり子とひとり娘とし、神様が本当に愛し得る家庭をつくることなのです。(160-272; 1969-05-17)