Category Archives: 天一国経典

より大きい公的なものの前に立つときは、謙遜でなければなりません

善なる行いをするためには、血と汗を流しながら精誡を尽くし、温柔謙遜で、兄弟に対する友愛をもち、地を愛さなけへればなりません。誰が反対しても、善をもって向き合うようにすれば、一〇〇パーセント、屈服するようになります。ですから、驕慢になってはいけません。まず与える人が主体です。 12    善なる行いをするためには、血と汗を流しながら精誡を尽くし、温柔謙遜で、兄弟に対する友愛をもち、地を愛さなけへればなりません。誰が反対しても、善をもって向き合うようにすれば、一〇〇パーセント、屈服するようになります。ですから、驕慢になってはいけません。まず与える人が主体です。お父様はすべてのことに対して、アベル的な責任を果たしてきました。これが私の生活哲学です。 より大きい公的なものの前に立つときは、謙遜でなければなりません。思想的な面で、お父様は霊界でも闘い、地上でも闘いました。商業的な面から見ても、精誠を尽くした面が大きくなければなりません。工場の基盤を備えるときまで努力しなければなりません。私たちがいまだ、そのように努力すべき部分が残っているので、天のみ前に「お金を稼がせてください」とは祈らないのです。 (「真の父母経」第十篇、第一章、第三節より)(1967/03/04)

when the path of the cross came to me unexpectedly, …I remained determined to go forward, renewing my resolve and renewing my hope

Even when the path of the cross came to me unexpectedly, and even when that path drove me into difficult and despairing circumstances, I remained determined to go forward, renewing my resolve and renewing my hope. 11 I have been walking a long and arduous path alone, pioneering the mission of a forerunner. But I… Read More »

十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、…新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです

これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界により光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。 11    孤独な道を一人、開拓者の使命と先覚者の使命をもってたどってきても、お父様は、孤独な立場でぶつかる出来事について、一切話しませんでした。命を懸けてきましたが、私は孤独な人ではありません。皆さんの同情も要りません。私は幸福な人です。 天地の大主人であられる神様が、私を理解してくださるので、いくら拷問で血を流し、身が引き裂かれ、筋が断ち切られる立場になっても、私は不幸ではありません。愛する息子をこのような立場に立てられた神様の心情は、それ以上に切ないことを知っているので、不幸ではないのです。その場で天をつかみ、天を慰労できる国を探し出そうと苦労しているので、どんなに拷問がひどくても、それが問題ではありません。重なり合う十字架の道が立ち塞がっていたとしても、その十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、お父様はそこで、新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです。 12    今までの歴史の過程を見る時、歴史の主人公は、その時代で受難の峠を克服しながら、その国の希望を抱いて闘ってきた人たちです。そのような人たちが、歴史の主人公です。聖賢たちは、天意に従い、人間の世の中で肯定するものを否定するのみならず、世の中の方向を変え、希望の世界に向かって自分の一身を捨てて、その理念とともに環境の試練を克服してきた人です。 その聖賢の人生は悲惨ですが、その心の内で受けたすべての苦しみが、かえって喜びの世界と関係を結ばせる動機になったのです。 これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界により光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。 ~~「真の父母経」第七篇、第二章、第三節より

suffering and difficulties are not bad

I never let myself become discouraged along the way. I carry numerous scars from the ordeals, tribulations and beatings, but I do not mind the wounds 9 The history of the Unification Church started from prison. Even after I came to South Korea, my path began with curses, betrayals and persecution. I am not a… Read More »

愛の神様は、この先に迫りくる試練の舞台を克服できるように、人間を鍛錬させる

正義の道は大変ですが、神様が求めているその群れの道に責任をもっていく道なので、落胆するのはやめようというのです 9     韓国においても、監獄から出発したのが統一教会の歴史です。呪いと背反と迫害の道から始めました。私は骨のない男ではありません。西大門刑務所に入っていた時、拘置課長という人が私を見て言った言葉を忘れません。死んでも忘れられません。一ヵ月もたたないうちに、彼らが私を訪ねてきて、「昔、聞いていた統一教会の文某と、今、(実際に)知った文某は違う」と言って謝罪するのを、この目ではっきりと見ました。 正義は、どんなに残酷な迫害の鎖の中でも勝利することを見てきたのです。ですから、正義の道は大変ですが、神様が求めているその群れの道に責任をもっていく道なので、落胆するのはやめようというのです。私は、落胆しませんでした。受難のむちの跡があまりにもたくさん残っているとしてもその時に受けた傷は、何ともないというのです。 鍛錬の過程は、鍛錬自体で終わるのではなく、喜びの刺激をより価値あるものとして感じられる、一つのプレゼントとして下さった受難の道だというのです 10    平凡なことをも、絶対的な価値の基準に上げるのは、受難の境地でのみ可能です。皆さんが、獄中生活の中や、厳しい飢饉の状況に立たされれば、分かるでしょう。試練や受難は悪いことではありません。試練や受難の中で、生命の価値を立てていく力と希望と欲求をもった人にとっては、その試練と受難の困難が、困難としてだけで終わるのではなく、未来における喜びの刺激となり得るのです。また、未来の喜びだけでなく、希望の国を訪ねていくことができます。 困難を克服しようとする希望をもっていれば、その場から喜びの天国を成就することができます。困難を克服しなければ、どんな希望も成就されないので、愛の神様は、この先に迫りくる試練の舞台を克服できるように、人間を鍛錬させるのです。ですから、その鍛錬の過程は、鍛錬自体で終わるのではなく、喜びの刺激をより価値あるものとして感じられる、一つのプレゼントとして下さった受難の道だというのです。このように考えるとき、その受難は悪いことではなく、困難も悪いことではありません。それが、私たちの幸福の基盤となり、あすの幸福を相続できる要因になるのです。 (「真の父母経」第七篇、第二章、第三節より)

父母様が生きている時に完成するためには、必死に身もだえして力を養わなければなりません

~「真の父母経」より 私たちは、この地上で父母様に直接お会し、このように教育を受けながらみ旨を成し遂げていくという事実に、感謝しなければなりません。 20    皆さんは、神様のみ前に、果たして面目を立てられる人だったのかを、考えてみなければなりません。復帰の世界的な開拓の道を父母様が歩んでいるのに、自分はどんな基準で父母様に向き合ってきたのか、冷静に批判し、きょうの位置をはっきりさせなければ、あすの勝利を迎えることはできません。国家的な側面で、日本がアダム国家に対応するエバ国家の位置に立っているとするならば、父母様が何らかの嫌疑を受けたり、苦難の道を歩んだりしてはいけないという観念をもっていなければなりません。堕落したエバが歴史的な過ちを犯したことを考えれば、その生涯全体を懸けて、世界を代表し、父母様の心情にたった一つの点でも傷を与えたりしないという思いをもたなければならないのが、エバ国家である日本の立場です。不平を言ってはいけないという意味です。完全否定の姿勢で、伝道の最前線に立たなければなりません。このような原則があれば、今すぐに完成することはできないとしても、未来においては完成できます。それは、父母様が保証することができます。皆さんは、歴史を延長して完成するのがよいでしょうか、父母様が生きている時代に完成するのがよいでしょうか。父母様が生きている時に完成するためには、必死に身もだえして力を養わなければなりません。 今日まで、歴史的に宗教を信じて霊界に行った人々は、いくら努力しても、現代に再び生まれることはできません。今の時代は、他のどの時代とも換えられない価値ある時代です。それを考えるとき、私たちは、この地上で父母様に直接お会し、このように教育を受けながらみ旨を成し遂げていくという事実に、感謝しなければなりません。(「真の父母経」第六篇、第三章、第二節:20)

神様の勝利と真の父母様の栄光の時代が到来することを宣布

 七・一節の解説は、個団メンバーサイト(公開)に掲載されています。 ~「真の父母経」第十一篇、第三章、第三節より 神様祝福永遠宣布式(一九九一・七・一、漢南国際研修院) 18    アダムを中心として、天使長が略奪した長子権を復帰することによって、天使世界がアダムを育て、成熟するときまで養育すべきだったその本然の世界に入ります。今や、霊界が人間世界を利用できないというのです。今までどれほど利用し、食い物にしてきたでしょうか。アダムとエバを堕落させた、そのようなことをしたのです。ですから、これを統合しようと思います。これを統合することによって、霊界が勢力を振るう権限がなくなります。水平になってしまうのです。 上に上がっていける存在は、真の父母と神様しかいません。それゆえ、権勢を振るう力がなくなるのです。力を出して、無理やりやってみなさいというのです。そうすれば倒れます。ですから、神様祝福永遠宣布式をしなければなりません。これを、父母様を中心として処理しておかなければなりません。偽りの父母として統治したので、今や真の父母としてこのように束ねて、宣布しておかなければならないのです。神様祝福永遠宣布式を行った日が、正に一九九一年七月一日です。 19    霊界と肉界が今まで、自分勝手に行ったり来たりしました。しかし、今からは一つの道を行きます。正統還元時代が来るというのです。サタンを赦してあげたので、神様が主管する時代に入るということです。霊界と肉界は、完全に正統、正道に還元し、神様の世界に入っていくというのです。ですから、神様の勝利と真の父母の栄光の世界到来を宣布するのです。それで、一九九一年七月一日、神様祝福永遠宣布式を行いました。 このようなすべての内容を備えたので、神様の勝利と真の父母様の栄光の時代が到来することを宣布しました。神様が勝利したので、真の父母様の栄光の時代だというのです。宇宙の前に宣布したため、それが一つの法になるので、これを中心として霊界を統治するのです。