天一国安着と私たちの永遠の伝統 Vol.2


~本郷人2017-02より抜粋~

天一国安着と私たちの永遠の伝統

Vol.2

詳細はメンバーサイトに掲載してあります。

「私が『3年待ちなさい』といいました」

・・・・誰よりも胸を痛められたのは他でもないお母様ご自身であり、お母様はお二人に対して、「3年待つように」と語られました。それはその後、家庭連合を中心にお母様が成される、天一国実体化のための3年侍墓精誠の摂理をご覧になって、再び母のもとに帰ってくることを誰よりも願われたからでした。お母様は以下のように語られています。

「信じた人が脱線したり、放棄する位置に立つ時、天の父母様の心がどうだったか、想像できるでしょう?私も同じです。私がこの子に『3年を待ちなさい』といいました。『静かにしていなさい』といいました。その言葉は成長しなさいという話です。責任を果たし得る位置に行くことを願いました。息子として、また人間として、侍る方に対するその態度は、そのように出てはいけないのに、一言で口を開いてああだこうだいう資格がありません。私が生きているので幸いです。私がいない後に起こり得ることを、天が皆、整理してくださるのです。…万が一、ああだこうだいいながら『少し助けてあげよう』という人がいれば、そこで摇らいではいけません。助けてあげないことが助けてあげることです」(2015.7.23)

・・・・・・・

「私が母親であるために赦し得るかぎり、すべて赦します。しかし、水位を超えれば駄目です。なぜですか?後代のためにです」(2015.3.18)

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2.米国サンクチュアリ教会の主張と動向

・・・・・・・同じ日に「天一国市民権利章典」を発表されました。その文章は、1791年に出された米国の権利章典とまったく同じ内容で、文中の「合衆国」を「天一国合衆国」と変えられただけでした。

特にその10項目の中の第2項目が「人民が武器を携帯する権利を侵してはならない」という、米国の銃所有の権利を保障した、いわゆる「修正第二条」であるわけですが、これについては國進ニムが、「神の国では政府は銃を持たず、神の子女が銃を持つ。天一国の王が我々に銃を持つ権利を与えてくださった」と解説されています。

かつて、カインとアベルの勝利の形について、お父様は以下のように語られていました。

「蕩減復帰原理の立場から、神様がアベルの祭物だけを受けられるようになったその時、アベルが謙虚な心で、兄であるカインに対していなければなりませんでした。ところが、反対にアベルは驕慢な心をもつようになったので、サタンはそれを条件として侵犯し、カインに血気を起こすようにさせ、理性を失うようにして、弟のアベルを殺害するように役事したのです」(2002.4.4)

「公式が何かといえばこれです。アベルが愛の心を持ってカインを自然屈服させなければなりません。強制屈服は駄目なのです」(1986.1.1)

ところが國進ニムは、韓国にいらっしゃった時から以下のように語られていました。

「講義をする時、大部分の講師たちは『アベルがもう少し謙遜になっていれば、たぶん殺されなかっただろう』とこのように教えるのです。本当にそうでしょうか。アベルが本当に謙遜になれなくて死んだのですか?アベルが謙遜であったとしても、カインはたぶんアベルを殺したのではないでしょうか?考えてみてください。カインはなぜアベルを殺したのですか。答えは簡単です。殺すことができたから殺したのです。アベルは弱くカインは強かったので、カインはアベルを殺したのです。もしアベルが銃を持っていたら、アベルは果たして死んだでしょうか?…私たちが数千年間の人類歴史の苦痛の歴史を経験したのは、結局、アベルが銃を持っていなかったからなのです」(2012.1.25)

この言葉の真偽は別にして、なぜ、このような考え方をされるのかということを考えた時に、私たちはそれが米国文化である、ということを考えざるを得ません。これはまさに米国の銃規制反対者の論理であるからです。・・・・

天一国安着と私たちの永遠の伝統 Vol.1

~本郷人2017-01より一部抜粋~

詳細は、メンバーサイトに掲載してあります。

第一章 永遠の伝統出発のため試練受ける実体天一国

1.サタンの試練受けられる真の子女様

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「私の家庭の真の子女たちの問題が多いのです。しかし、私は真の父母の道を歩むのです。70億人類が、真の父母が分からないでいるのに、彼らを皆、救って天一国の民とするようになれば、自動的に真の家庭の問題はすべて解決されるのです」(2014.1027)

お母様は、ご自身の母としての情以上に、全人類の真の父母としての立場を優先され、子女様を私たち祝福家庭とまったく同列に扱われることを明言されているわけですが、それは同時に子女様の犠牲を意味しています。

・・・・

真の父母様「その下に行って集団をつくるな」

「だから、その下に行って集団をつくってはいけません。行った人は悔い改めて清平40修を受けた後に受け入れます。そうしてこそ〇〇が帰ってくるのです」と語られたということでした。

・・・・・

かつて、亨進ニムが世界会長であられた2009年11.15の天福宮聖日礼拝で、亨進ニムご自身がそのようなお父様の伝言を伝えられたことがあります。

「真のお父様は今週、特に私に対して、すべての食口たちにこれを話すようにいわれました。もし、私たち(真の子女)が真の父母様を拒否したならば、私たちが新しい中心だと主張したならば、皆さんは絶対私たちに従ってはいけません。これはとても簡単です。真の父母様を栄光と愛によって侍る責任を持っている統一教人にとって、真の子女は統一機関において何ものでもありません。どんな教会の組織やリーダーでもありません。統一教人として私たちの役割は真の父母様を讃美することです。真のお父様は本当に今回、明らかにしなさいといわれました」(亨進ニム/2009.11.15)

そのように語られて、亨進ニムは、お父様のみ言葉として、子女様の名前を一人ひとり挙げられた後、ご自身についても、「私(亨進ニム)が真の父母様を否定したり、真の父母様に従わないならば、統一教人たちは私に従ってはいけません」と伝えられました。

お父様は、なぜこの時、わざわざ天福宮の聖日礼拝で、亨進ニムご自身にそのみ言葉を語らせられたのでしょうか。結局、サタンの讒訴権によって子女様が父母様に背くということが起こってしまった時に、本当に重要なのは私たち祝福家庭のほうであるからです。すなわち、その時にその子女様に従う人たちは、強い言葉でいうならば、すべて父母様にとっては、父母様と子女様の間を裂く者となるのであり、天の前に千秋万代の恨を残してしまうことになるのだ、ということを、私たちはよく知って、自らの行動に注意しなければなりません。

それは、私たちが子女様の前に天使長の位置に立たされているがゆえに、まさにそうすることで、神様とアダムとエバとの間を裂いた天使長ルーシェルのような存在になるのであって、・・・・・わざわざ世界会長に立たれた亨進ニムの口を通して、そのメッセージを伝えさせられたといえるのです。

信仰生活の目的①

~「祝福家庭」2016-秋季号より抜粋

信仰生活の目的①

天の父母様(神様)は私の親でいらっしゃいますから、以下の内容が大切です。

⑴神様と私との間に立ちはだかるサタンの分立

⑵神様との親子の愛の心情因縁の回復

⑶神様が本来願われた創造目的の完成

それこそ、私たちが信仰生活を歩む目的です。

その目的を達成するために必要なことは、アダムとエバの堕落の経緯と復帰の内容から知ることができます。

すなわち、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」の生き方です。

アダムとエバの堕落は、神様の言葉より天使長の言葉を信じる、つまり神様のみ言を不信し、自己中心になって自己主張し、自分中心の愛の世界を要求したために起こりました。ですから、次の3つのことが求められます。

① み言を不信したことを蕩減するために、死を超えてまでもみ言を信じて守り抜く「絶対信仰」

② 自己中心、自己主張を蕩減するために、自分を主張せず、ために生きる「絶対愛」

③ 無私、自分の観念や自己の存在までもなくする「絶対服従」

実は、神様ご自身が「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」のお方です。「原理」の前に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で投入し創造なさったのです。

アダムとエバも本来、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」で完成すべきでした。

ところが、今の私たちは「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」というと、重苦しく感じます。中でも絶対服従がいちばん嫌だという人が多いのです。それは私たちの中にある堕落性が、本然の「絶対」に抵抗しているからです。

しかし、幼い頃を思い出してみてください。幼子は、親の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従ではないでしょうか。

親を100パーセント信じ、親を絶対的に愛し、親の言うことに従い、親の喜ぶ姿を見て喜んでいた時がありました。

その時は苦痛でも不自由でもありませんでした。それが本然の愛の世界だったのです。

「皆さんの人生も、今からこの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の三大原則に従って実践さえすれば天上の五大聖賢はもちろん皆さんの善なる先祖たちが総動員され、皆さんの幸福を保障してくれるでしょう。

皆さんが父母のために、夫婦はお互いのために、兄弟姉妹がお互いのために、このような秩序的基準の信仰と愛と服従を施してみてください。そこにどうして利己的な個人主義や、享楽ばかりを追求する非原理的な根が伸びて入ってくることができるでしょうか。

皆さんが絶対的基準に立ちさえすれば、天も絶対的基準で皆さんを保護し、守ってくださるのです」(『後天時代の生活信仰』75〜76頁)。

(1)サタンを分別する

聖書において「この世の君」(ヨハネ12・31)「全世界を惑わす年を経たへび」(黙12・9)等と記されているように、サタンはこの世界の王様です。この世界を支配し、私たちを操って神様から遠ざけています。

しかもサタンは、私たちが「信じることも救われることもないように」(ルカ8・12)しようと、休みなく私たちに働き掛けているのです。あらゆる方向から私たちを誘惑し、不安と恐怖に陥れ、自己中心的な思いを膨らませ、時に健康を損なわせることもあります。

私たちの心の中から、家庭から、私たちの地域や国、世界から、サタンを追放、つまりサタンを分立しなければ、神様は私たちと共に住みたくても共に住むことができません。

①サタンの正体

サタンを分別するためには、まずサタンが何者なのか、サタンのもつ力、やり方、何を好み、何を嫌がるかといった、「サタンの正体」を知らなければなりません。

《王としてこの世に君臨するサタン》

真の父母様は『原理講論』を通して、私たちにサタンの正体を明確に教えてくださいました。「サタンは人間の堕落以後今日に至るまで、常に人間の心を悪の方向に引きずってきたものであるがゆえに、まさしくこれは霊的存在」なのです。

霊的存在は目に見えません。ですから、サタンと闘うということは、目を開けている相手に対して、目を閉じて闘うようなものです。相手の姿は見えないのに相手からこちらは丸見えですから、私たちに勝ち目はありません。

そのようなサタンと闘い、勝利された唯一のお方が天地人真の父母様です。その父母様と一つになることによって、私たちはサタンを分別する方法を知ることができるのです。

《サタン侵入の手口》

次に、サタンが私たちに侵入するやり方を見てみましょう。(図①)サタンは、直接私たちに影響を与えるのではなく、悪霊を通して私たちの霊人体に働き掛けます。そして私たちの肉身活動を通して悪なる行為をさせるのです。

勉強中や講義中、いつの間にか寝ていたということはありませんか。あるいは自信を失ったり、不信感を覚えたり、不安や心配、恨み、憎しみ、嫉妬といった否定的な、消極的な思いになったりすることはありませんか。それこそがサタンの仕業です。

一方、神様は善霊を通して私たちに影響をお与えになります。私たちが良い思いをもてば、善霊を通して私たちの霊人体に影響を与え、信頼や愛、希望、喜び、感動の世界が広がり、善なることを行うことができます。

私たちの霊人体には、「思い」というアンテナがあり、それが善霊や悪霊の電波を拾うのです。電波をキャッチすると、私たちはそれと相対基準を結んで授受作用し、やがて行動に至ります。ですから、何かあったときに、私たちがどう思うかによってその行動や結果が全く変わってきます。

昼食時に、誰かが「午前中の講義に感動しました。神様が私を召命してくれていたんですね」と講義の感想を述べました。

それを聞いて、自分は「そんなに感動的なところ、あったかな?」と思ったとします。すると悪霊が「寝ていたじゃないか。おまえはいつも大事なところで寝ている」とささやくわけです。

悪霊との授受作用が始まりました。授受作用をしたら、授受作用の力が出てきます。

その結果、「私はいつも寝ていた。結局、21修に出ても駄目なんだ。私はやっぱり駄目だ。こんな自分はついて行けない。もうやめたほうがいい。そうだ、やめよう!」と、悪い方向へ悪い方向へと引きずり込まれていきます。

悪霊と授受しているつもりはないので、悪霊に自分の思いや思考が操作されているとは夢にも思いません。自分で考えて、自分で悩んで、自分で決めたように思っています。

しかし実際は、その背後にいる数えきれない数の悪霊たちに操られているのです。

《礼拝•祈祷の時間をサタンに奪われてはならない》

サタンが特に勵きやすい時間があります。それは、礼拝や祈祷の時間です。

礼拝は神様と直接出会う時間ですから、サタンは神様に出会わせないようにします。それで、「忙しいから」「疲れているから」といった事情を優先させて礼拝に出させないようにするのです。

祈祷の時間は神様に近づく霊的な力を得る時間です。それもサタンは阻止しようとします。そして、雑念を起こさせたり、居眠りをさせたりして祈らせまいとするのです。

この時間をサタンに奪われてはなりません。サタンと闘うための武器が、「み言」と「祈祷」です。あれこれ考えるのでなく神様に尋ねてみましょう。サタンと闘って勝つ強い自分になるために、み言の力と祈りの力を蓄え育てていきましょう。

「あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである」(エぺソ4・22〜24)

②   何が罪となるのか

神様は善なるものを創造されたので、被造物自体は罪にはなりません。神様がおつくりになったものは、創造目的を追求する方向性と、存在目的を維持する位置性、そして限られた時間内に存在する時間性をもっています。

これらの時間や方向性、位置が創造目的に反するような行為や結果が罪になるのです。罪とは、サタンと相対基準を結び、授受作用をなし得る条件を成立させることで天法に違反することです。

③    自己否定と自己犠牲

《自己中心はサタンの似姿》

アダムとエバが神様のみ旨よりも自分の目的を愛してしまつたことが、堕落の始まりでした。自分を創造目的以上に優先したのです。こうして神様の世界は全てサタンに奪われてしまいました。

その結果、神様とは似ても似つかない自分本位の世界になったのです。自己中心に生きる私たちの姿は、サタンによく似ています。

サタンを分別し、神様に似るためには、いったんは全てを否定しなければなりません。自分を否定し、自分の目的より神のみ旨を愛する生き方をしなければならないのです。

そのような生き方を貫いてサタンをいかに分立するかを見せてくださったのが、真の父母様です。父母様が歩まれる道は、「自己否定」と「自己犠牲」、苦労の道です。

否定や犠牲、苦労は、サタンが最も嫌がります。だからこそ、サタンを分別する道はその道しかないというのです。内的サタン分立が自己否定であり、自己犠牲です。

犠牲の道、苦労の道を歩むとき、いろいろな思いが湧いてくるのは、私たちにまだ堕落性や罪があるからです。サタンが共に住んでいるからです。サタンがいなければ、「はい、喜んで」という気持ちになるはずです。

修練会で、「あすの講義に備えて、早く休もう」と思っていたのに、片付けを頼まれたとします。そのとき「どうして私が?」という気持ちが湧いてくるとしたら、サタンが寄ってきます。

しかし、しかたなく掃除をしたとしても、「これをあすのみ言を聴く条件にさせてください」という思いが湧いてきたとしたら、サタンは心の中から追い出されていきます。

苦労や犠牲、奉仕を感謝し、喜ぶ世界は、愛の世界です。「親が子供のために、夫が家族のために、妻が夫のために…」、このようにために生きる真の愛の世界には、既にサタンではなく神様が住まわれているのです。

《自己否定》

犠牲になるより、もっと苦しいのが否定の道です。否定は、その人が正しかろうが正しくなかろうが、あまり関係はありません。一生懸命頑張ったのに成果が見られないときに否定を感じます。

例えば、伝道に行って、伝道できた人とできなかった人がいるとしましょう。両者の違いはどこにあると思いますか。

よくお祈りしたから、尽くしたから、あるいは原理テストで良い点を取ったから、伝道できたのでしょうか。伝道できなかった人も、同じように真剣にみ言を聴き、祈り、努力したのではないでしょうか。

そして、結果が出なくてがっかりしているのに、アベルから「ちょっとお祈りが足りなかったのではないか」とでも言われたら、どう思いますか。「アベルも堕落人間だから、私の気持ちは分からないんだ」と反発しますか、それとも「そうだ。もっと祈っておけばよかった」と受け止めますか。

ところで、「否定される」、イコール「愛されていない」ということの証拠ではありません。否定されたときに引っ掛かるのは、自分に罪や堕落性が残っているからです。否定され、「もう駄目だ」と思えばサタンの思うつぼです。

むしろ、否定を通して、堕落性を脱いで天国に入れる私たちになるように、神様が気づかせようとしてくださっているのです。ですから、否定は感謝でもあるのです。否定されることを恐れる必要はありません。

また、私たちは地位や名誉、財産など、これだけは捨てられないというものをもつていますが、サタンはそこに侵入してきます。

それらは全て、サタンが好むものです。サタンはほかならぬ、私自身の中にいるのです。

ですから、そのような堕落性をもつ自分自身を否定しなければなりません。それが自己否定です。父母様は「自分と名のつくものは、みなサタンだ」と語られます。自己否定こそ、サタンを分別する道だということです。(図②)

人間は堕落することで万物以下に落ちてしまいました。ですから、私たちは僕の僕の位置から始めなければなりません。サタンが全てを所有してしまったので、私たちは、一度は全部否定しなければいけません。そして、謙遜と柔和、奉仕と犠牲精神をもつて越えていきましょう。

それがサタンに引っ掛からない自分になるための道です。

*「祝福家庭」「世界家庭」の定期購読は、jpublications@unification.orgまでお問合せください。

七・八節(天地父母天宙安息圏宣布)

明日、2016年8月9日は、天暦7月7日、第20回七・八節です。

七・八節(天地父母天宙安息圏宣布)

今回、「7・8節」を迎えることができた摂理的背景には第一に、「7・1節」までに勝利された縦的基準における三権復帰(長子権復帰・父母権復帰・ 王圏復帰)の上に、今回、真のご父母様が家庭を中心とした三権復帰の横的な勝利基台を築かれた内容があったといえます。 第二に、真のご父母様が宣布式において「サタン世界を凌駕し得る360万双の超国家的祝福の勝利の時を迎えることによって、このような日を設定するように なった恩賜を感謝申し上げます」と祈祷されていますように、7月15日をもって全世界的に360万双祝福を達成したことが挙げられます。 第三に、今日まで真のお母様は1992年4月10日に女性の組織を創設されて、世界的な女性解放時代を迎えられ、更に米国国会や国連における講演会を勝利 してこられました。 そのような背景をもってなされた今回の「世界の平和と統一を目指す韓国・真の家庭実践指導者大会」(7月22日~8月8日)の勝利と成功を挙げることがで きます。

次に安息圏の意味を考えてみますと、まず第一に、聖書の創世記2章に、神は6日間の創造の作業を終了されて、「7日目に安息された」と記されていま す。 そのごとくに蕩減復帰歴史6000年を背景として真のご父母様は、77歳、1997年(陰暦)7月7日7時7分7秒と、7数復帰を意味する7(安息数)が 8つ(再出発数)に重なった時点に合わせて、「7・8節」を宣布されたのです。
第二に、言葉の意味から考えてみたいと思います。「安息」とは「家庭で女王(女性)に侍る立場で、心を自由にしてすべてを忘れる夫の立場」であると説明さ れています。 そのごとくに安息圏宣布後、真のご父母様は完全に自由な立場に立たれました。 さらに「安息圏」とは、サタンの讒訴(ざんそ)条件を越えた圏内のことを意味しており、神は今や有能な神として、全権を行使できるようになりましたので、 本格的な天運到来の時を迎えたといえるのです。

2006年の暮れにお父様のみ言で2007年の7・8節より陽暦の8月1日に祝うことになりました。

天一国経典「天聖経」にあるみ言

宣布時のみ言