天一国経典天聖経訓読映像(第一篇 三章 一節 15~20項)
天一国経典天聖経訓読映像(第一篇 三章 一節 15~20項) from PeaceTV on Vimeo.
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天一国経典、特に「真の父母経」の訓読が現在行われている40日精誠期間に推薦されています。 それに加え、 天一国原聖物下賜式における 真の父母様の祝祷 9月18日、ワシントン大会40周年を迎える準備として、 アメリカと神のみ旨、 America And God’s Will を推薦いたします。
~「祝福家庭」2015年秋季号、天一国経典を訓読しよう、座談会より引用(全文はメンバーページに掲載されています)-4 事前に訓読、実践し、恩恵を家族で共有する M: 今のお話にありましたように、今後は家庭訓読会というのが非常に重要になってきますね。先ほど、O副院長が「導き手が大事」だと語られましたが、家庭においては基本的に、父親がその立場になるということですか。 O: ええ。父親だけが務めるのではなく、ローテーションを組んでやっていくのもいいかと思います。きょうはお父さん、あすはお母さんとか、たまには子供を中心に立てて交代しながら行うのです。 T: 今の時代、家庭で訓読して終わりではなく、訓読したら、そのみ言に対する証や感想を述べ合うことが大切ですね。その中で、力強く縦的な伝統を育んでいくことができると思いますよ。 O: そうです、共有するということが大きなポイントです。み言に対する捉え方や恩恵を、親子や兄弟姉妹で語り合うのです。子供の感想を聞いて、その成長ぶりに親が驚かされることもあるでしょう。 そうなれば、訓読会が楽しくなっていくのではないでしょうか。訓読会はいわゆる「行」ではなく、日々、待ち遠しい時間になると思います。 M: 深い知識などなくても、導き手として家庭訓読を進めていくこつや、望ましい姿勢といったものはありますか。 O: 訓読する箇所を、前もって把握しておいたらいいですね。 T: そうです、そうです。家庭の中心は父親ですから、子供が10歲だったら10歳の子のため、読むにふさわしいみ言を選ぶという作業が出てきます。み言を選んだら、お父さんは、そのみ言を予め訓読し、何日か実践してみるといいですよ。 訓読会のときに、その体験を話してあげると、それを聞いて子供が神様と出会うようになるかもしれません。このようにして、家庭の中に恩恵が蓄積されていく。こういう訓読会のやり方もあります。 S: 家庭を構成するメンバーも、親と子、そして祖父母がいます。また、それぞれ乳幼児だったり、小中学生、壮年、熟年だったりするわけですから、み言にしても一律にはいきません。 み 言カレンダー「喜びの家庭」があるでしょう。私はその22日付の「結婚とは、自分のためにするのではなく、相手のためにするのである」というところを常時 開いていつも訓読しています。学ぶところが非常に多くて…。短い言葉ですが、祝福の意義と価値が全部集約されているのです。 み言を読む量ということもありますが、短いみ言でも、こちらが問題意識をもって見ていけば、絶えず新たな悟りなり、恩恵、感動が得られます。これも効果的な訓読の仕方だと言えます。 T: 本来の教育の基本は、親が中心となった家庭訓読ですから、訓読を通して家庭に恩恵が蓄積されていくんですよ。 もちろん、修練会による教育は今後も継続して行われますが、訓読生活は、家庭の中に、神の心情やみ言、恩恵を全部蓄積していくことのできる姿勢をもって生活することではないかと思います。 S: 訓読の環境には教会で行う訓読、区域で行う訓読などいろいろありますが、神氏族メシヤを進めていく私たちにとって、家庭訓読会はいっそう重要になってきます。 「天地人真の父母実体み言宣布天宙大会」のみ言にある4つの項目の第一に「家庭で行う訓読会」が強調されています。お父様が「生涯の結実」と語られたみ言の中で、親子が一つになって行う家庭訓読の重要性について言及しておられます。 三大祝福の中核となるのが家庭の完成です。家庭から氏族、民族、国家、世界へと展開しながら、真の愛の実体世界を築こうとしているわけです。 親 子が同じみ言を訓読し、教え合い、み言を実践して証し合う世界を育み、「絶対家庭」の基準にまで引き上げる内容が、家庭訓読会にはあるように思います。 1000日以上、そのような家庭訓読を続け、非常に良い結果が生まれているという証もあります。そういう証がこれからも出てきてほしいですね。 訓読生活は家庭教育の柱 T: 今後、教育のメーンは家庭訓読会となっていきます。子供は幼児期、小学生期、思春期等、7段階をもって成長します。それぞれの段階で家庭訓読が教育の中心となります。 親もまた各段階で、子供の年齢にふさわしいみ言を捜し、解説するために勉強しなければなりません。時には教会に教えを請うこともあるでしょうね。 M: 親が子女を教育しながら、同時に、親もまたみ言をきちんと解説できる親として育てられていく。子供の成長期間がそのまま、親が親として育てられていく期間になるということですね。 T: そういうことです。それと教材づくりです。 三世代が一つの家庭をつくるためには、世代間のギャップを越える必要があります。何をもって?縦的なもので越えるしかないわけです。 現代社会の乱れを思うと、余計、訓読の使命の大きさを感じます。 S: 訓読生活は、家族が神霊と真理で成長していく教育の柱です。その場にふさわしい、またその子女の状況に合った、さらに喜びを感じさせるような導き方が必要 なんです。ですから、家庭訓読の場合は、あまり時間や長さなどにこだわらなくてもいいと思いますよ。 M: キリスト教では、どんなふうに訓読教育をしていたんでしょうか。 O: 早朝、教会に集まって早天祈祷会をすることもありますし、各家庭で祈祷会を行い、聖書を訓読し一日を出発することもあります。 その伝統はユダヤ教から来ていると思います。ユダヤ教も安息日にそういう伝統を継承してきていますから。 T: ユダヤ教では、家庭で訓読したあと、家族でディスカッションをすると聞いています。ですから、あちらのトーラーの学習会なんか、訓読や議論で騷がしいというか。(笑) 例えば、アブラハムのイサク献祭のところを訓読したとします。その内容について親子でディスカッションをするのです。子供を供え物にしようとする親の姿勢、親にそれができるのか…など。… Read More »
~「祝福家庭」2015年秋季号、天一国経典を訓読しよう、座談会より引用(全文はメンバーページに掲載されています)-3 訓読の恩恵と訓読に臨む心構え M: それでは、訓読の恩恵について伺っていきます。 O: 訓 読の恩恵を考えるとき、マルチン・ルターの「主体と客体の変革をもって読む」という聖書釈義を想起します。聖書を読む際、最初は自分が主体になって読み始 めるのですが、深く読んでいくうちに聖書のほうから「あなたは何者か?」と問われると言います。そこで「自分は罪びとである」といった気づきを得、悔い改 めが始まるというのです。 私は、『真の父母経』を毎日訓読していく中、こういった大きな恩恵を受けました。どういうことかといいますと。私 は「父母様はどういう路程を歩まれたのか?」と関心をもって『真の父母経』を開くわけです。最初は自分が主体になって『真の父母経』を読み始めるのです が、次第にその時々、その場その場のお父様の生き方に出会うのです。 「こういう生き方をしてこられたのか」「神の前に完全なマイナスとなり、神と一心一体となって歩んでおられるんだな」「限界を超え、そして我々を愛しておられるし、我々を許しておられるんだ」と分かってきました。 そして、「このような父母様が、我々の親なんだ。我々を本当に救うために、ここまで開拓して歩んでこられたのか」「本当に完全投入のご生涯だった」という大きな恩恵を頂いたのです。 S: ある教会の証ですが、「訓読心身浄化精誠」といつて、訓読を通して、自分の汚れを反省し、悔い改め、そして目的を決めて己を磨いていくという実践を続けています。 それができるようになってくると、家族関係がもっと良くなり、さらに家庭同士で交流する際も、良い授受作用ができるようになっているといいます。 T: 先に真の父母様という実体があります。その父母様が背後にある神の心情をかき抱いて実践なさり、そしてみ言を語ってくださいました。 み言訓読を通して、私たちは神の心情に出会うことができるんです。それによって、私たちはみ旨を果たし、さらに真の愛の実体を目指して実践していく力もまた与えられるということです。 M: お父様が霊界に行かれた今、お父様にお会いすることのない一世や二世たちにとって、この三大経典、特に『真の父母経』は父母様と出会い、父母様を理解するうえですごく重要になってきます。 O: 『真の父母経』一冊で真の父母様の生涯と業績を一望できるわけです。今回、共に『真の父母経』日本語版の編纂に携わったメンバーが話していました。 「『真の父母経』を訓読して、『お父様のみ言を美しい宝石として一つにつなぐ』というお母様のみ言の意味が分かった」と。 S: 真のお母様のみ言があります。 「真のお父様のみ言や、全ての行跡は、原石と同じです。宝石です。私は、その宝石を最高に価値があるものにし、常に間近で愛せるよう、持ち歩きたいのです」(天一国経典『天聖経』十二・四・三・20) 「お父様の業績は、堕落した人類の前に宝石のような真理の『真のみ言』を下さったことです。このみ言が散り散りにならないで美しい宝石になり、天一国経典『天聖経』という本の中に一列に繋がれていることを思うとき、あまりにもうれしく、感謝です」(2013年6月10日) 訓読会から受ける恩恵はたくさんあるのですが、 一つは、真理の探究における出会いです。「悟った」「分かった」という率直な感動です。それから、お父様の生き様を目の当たりにしたところから来る感動…。いずれにしても反復する中に、悟り、つかみ取っていく世界です。 「読書百遍意自ずから通ず」と言われるように、訓読をしていく中でだんだん開かれてきます。 「お父様の生涯の日記だよ」と言われる『原理講論』は、神様から発せられた真理ですから、ある意味、哲学的、形而上学的で分かりにくい部分があります。しかし、繰り返し読んでいくうちに、「ああ、ここではこういうことを言わんとしているな」と分かってくるわけです。 M: 一日何時間とか、何回訓読するといったやり方で恩恵を受けたという証もありますね。訓読の恩恵を受けるようになる、何か心構えといったものがあるのでしょうか? S: そのときどきの霊的背景や成長の段階で異なってきます。み言に集中できないときは忍耐して読む必要もありますし。先ほど申し上げた「読書百遍…」のよう に、訓読し続ける中で開かれる世界があります。大切なことは、み言の背後にある神様、真の父母様の心情と出会うこと、訓読を通して我々がみ言の実体となっ ていくということなんです。 T: 私の場合、「行」や「条件」で訓読していた時期があり ました。しかし、訓読しながら成長して個性完成をなし、さらに家庭完成、つまり幸せな家庭を目指すには、自分自身が神の心情と出会わなければなりません。 ですから訓読も、そこに流れる神の心情を感じたいという思いで行っています。 恩恵を引き出す効果的な訓読のやり方 M: どのようにしたら訓読会が恩恵深い、効果的なものになるのか、具体的な内容を伺っていきたいと思います。 O: 訓読会においては、一人で訓読するのもいいですが、やっぱり「導き手」が非常に重要だと思います 例えば、内村鑑三は、聖書研究会を開いて聖書の言葉を解き明かすことによって、多くの人の魂を揺さぶり、後世に大きな影響を与えました。 「み 言」は、あらゆる問題を解決する真理です。お父様は、その「み言」に対し、「原理の本を中心として勉強しなければなりません」(天一国経典『天聖経』二・ 五・五・24)と語っておられます。私たちもみ言を訓読する場合は、『原理講論』をベースにして、理解を深めていく必要があります。 その日の訓読のみ言のポィントは何かを尋ねつつ、『原理講論』をベースに、「このみ言によって、こういう問題が解決される。こういう未来が開かれる」「こういう素晴らしい家庭になる」など、参加者の心に訴え、啓蒙していけるような工夫が必要です。 訓読会に参加する人たちに感動を与えられるよう、導き手は特にお祈りをして、よく準備をしたほうがいいでしょう。 S: … Read More »
~「祝福家庭」2015年秋季号、天一国経典を訓読しよう、座談会より引用(全文はメンバーページに掲載されています)-2 み言に侍る真の父母様の姿勢 M: 3つの天一国経典がそろい、いよいよ本格的に基元節の伝統を培っていく時代に入りました。 天の伝統の中心が訓読生活だと思いますが、訓読会について、具体的な内容を伺っていきます。まず、訓読会の目的と意義について伺います。 S: 「訓読」という言葉自体、真の父母様から提示されました。それまでは「拝読する」「学ぶ」などと表現していたのです。「訓読」というと、まず浮かぶのが訓 読会を生命視される真の父母様のお姿です。どんなにお疲れでも、どんなに遅くお休みになっても、あるいは病床にあられた時でさえ、訓読会を欠かされたこと はありません。一心にみ言に耳を傾けていらっしゃいました。 み言を発信したのは、ほかでもない父母様ご自身です。そのみ言の基である父母様が、み言の前に絶対対象の立場に立っておられるのです。父母様が身をもって示してくださったこの「み言に聞く」という姿勢が、私たちにとっても非常に重要です。 M: み言を絶対的中心として、み言に尋ね、み言に聞く、み言に返るということですね。 ただ訓読会というと、時間を決めて、ある時間にあるみ言を条件的に読む、というのが訓読会だとイメージしている人が多いのではないでしょうか。 S: 大事なことは、訓読しているみ言が言わんとしているメッセージ、み言の本質を見いだすことです。そして、その日、あるいは一週間、ひと月、ひいては一生涯を懸けて追い求め、私たちがそのみ言の実体になっていくことです。 T: 訓読の「訓」はみ言の川と書きます。私は、訓読とは自分の心の中に神様の愛が流れる川を作る作業ではないかと感じています。 私たちの心の中にはいろいろなごみが溜まっています。そのごみを洗い流すための川や堤防を作るのが訓読であり、そのごみをざーっと洗い流してくれるのが訓読の恩恵ではないかと。 神の愛がいつも流れるように、訓読を定着させていくのが訓読生活です。訓読によって、神主義の原点が築かれるんだと思うのです。 M: 訓読によって、み言を実体化させ、神主義の原点をつくり、私たちがみ言の実体になっていくということですね。 真の父母様の生きた証『真の父母経』 M: O副院長は、『真の父母経』日本語版の編纂で訓読を重ねられたと思いますが、その中で感じられたことはありますか。 O: 読み合わせをする中で、真の父母様の歩みや心情に触れさせていただきました。涙で訓読を続けられないこともしばしばありました。 M: 例えばどういう箇所ですか。 O: たくさんあるのですが、特に涙したのは、ダンベリーのところでした。 お父様が冤罪によってアメリカのダンベリー刑務所に収監されたのです。普通の人なら落ち込むところでしょう。ところが、お父様は「ダンベリーで神の愛を感じた」とおっしゃるわけです。 刑務所ですから、朝起きる時間から掃除や食事、仕事、寝る時間まで管理されています。睡眠時間もだいたい8時間取るようになっていました。その時間も、お父様は訓読や祈祷をされるなど、天の前に精誠を尽くしておられたのですが。 お父様は、神のみ旨を携えて、長年、不眠不休で人類の救いのため、神の解放のために歩んでこられました。その間、お父様の睡眠時間は、毎日1、2時間あるかないかという状態だったようです。 そのお父様が、ダンベリーの生活はむしろ恵みだったと神様に感謝していらっしゃいました。「こうやって、神様は私に休む時間を与えてくれた」「刑務所に送り込んででも、自分を安らかにさせようとしてくださる神の愛を感じた」と。 このような表現に出会ったとき、我慢しきれなくて嗚咽してしまいました。 S: 『真の父母経』には真の父母様の自叙伝に通ずる世界があるかもしれません。父母様の生きた証といいますか、実際に父母様が体験し、呼吸し、あるいはぶつかってこられた世界が克明に記録されているわけですから。 それ自体が、我々が目指すべき世界ですね。自分自身もそういう道を行かなければいけないという、極めて具体的な教えとなって私たちの霊人体の中に入ってくるのです。 (つづく)
~「祝福家庭」2015年秋季号、天一国経典を訓読しよう、座談会より引用(全文はメンバーページに掲載されています)-1 真のお母様の偉業、三大天一国経典の編纂 M: まず、3冊の天一国経典が発刊された経緯について伺います。 S: 天一国経典は真のお母様のご指導のもと、編纂されたものです。最初にお母様が指示を出されたのが『真の父母経』ですね。 M: 『真の父母経』が最初ですか。O・教会成長研究院副院長は、『真の父母経』日本語版の発刊に直接携わってこられましたね。 O: はい。お母様が『真の父母経』の編纂を願われたのが、お父様が入院していらした時でした。それを受けて、2012年8月23日に金榮輝先生を委員長とする編纂委員会が発足したのです。 S: 編纂のご指示は、最初に『真の父母経』、それから聖和後、天一国経典『天聖経』と『平和経』の順ですね。実際に奉呈されたのは、2013年の基元節に韓国語版の天一国経典『天聖経』と『平和経』、2015年の基元節2周年に『真の父母経』です。 M: 基本的なことですが、3冊のそれぞれの意義と特徴についてはどうでしょうか。 O: 当時、八大教材教本『天聖経』が発刊されていたのですが、実のところ、この本には「神様王権即位式」(2001年1月13日)からお父様のご聖和(2012年天暦7月17日)までの期間に語られたみ言がほとんど収録されていなかったのです。 S: 「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言も入っていませんでした。お父様が「生涯全体の結実として宣布したみ言だ」と何度もおっしゃっていたのですが。 O: ええ。そこで、真のお母様のご指導により、それらのみ言を含めた天一国経典『天聖経』が編纂されることになったのです。 また、お父様は生涯において何百回もの講演をしていらっしゃいますが、それらも未整理のままの状態でした。『平和経』には、178篇の講演文が収録されています。 T: 講演文は、真のお父様が全人類に向かって、真の父母として、万王の王として、公式的に宣布されたみ言ですね。 O: 本当にそうです。『平和経』は極めて重要な、読みごたえのある一冊です。 S: 『真の父母経』には、メシヤであられる真の父母様の生涯路程、そして、そのご業績が体系的にまとめられています。 これら3冊の天一国経典が編纂されたことは、真のお母様にしかできない、偉大な実績だと言えます。 『真の父母経』は三大経典の中心 M: 三大天一国経典の編纂は、み言を未来永劫、正しく伝えていくために、必要不可欠なことだったわけですね。その3冊の中で最も中心になるのは、どれでしょうか。 S: 3冊それぞれに目的がありますが、やはりこの度発刊された『真の父母経』となるでしょう。 み言の結実であり、その実体である父母様ご自身を証していますから。 『天聖経』は、祝福家庭や食口たちが携えて、日々の生活の中でしっかり学んでいくべき基本的な内容ですし、『平和経』は、世界に展開する統一運動における父母様のメッセージの集大成ですね。 O: 『真の父母経』は、人類ばかりでなく天の父母様(神様)までもが、最も読むことを願っておられる本です。神様と人類の最大の関心は、真の父母様の生涯路程とその業績にあるからです。 なぜなら、キリスト教の中心は、どんなに偉大な教皇や神学者が現れたとしても、イエス様であり続けました。ましてや、真の父母様は人類始祖の立場に立たれたお方です。未来永劫、人類の中心存在は、真の父母様しかおられません。 文鮮明・真のお父様、韓鶴子・真のお母様について知ろうと思う人は誰でも、『真の父母経』を学ぶことになります。 T: 私も早く読みたいとずっと待っていましたから、この度の『真の父母経』の奉呈を本当に嬉しく思っています。 S: 『天聖経』や『平和経』を訓読しながら目指していくのは、私たちがみ言の実体となるということですからね。その「み言の実体」が真の父母様でいらっしゃいます。 その意味で、真の父母様の生涯路程を記した『真の父母経』は、自ずと三大天一国経典の中心になりますし、それがゴールであると捉えています。 T: 今のお話を聞いて、『天聖経』と『平和経』のみ言を、具体的に生きた人物の歩みを証したのが『真の父母経』であることを改めて感じました。み言だけではなく、生きた実体がそこにあるんですね。 ユダヤ教、キリスト教、そして統一教会と、神の復帰歴史を担ってきた立場ですが、キリスト教には、イエス様の歩みは、公的生涯以外は詳細な記録はありません。そういう意味でも、『真の父母経』のもつ意義は非常に大きいですね。 (つづく)
천성경 훈독 영상 (제1편 2장 1절 21~24항) 천성경 훈독 영상 (제1편 2장 1절 21~24항) from PeaceTV on Vimeo. 21 이제 인간은 갈 곳이 없습니다. 그러나 최후의 결판을 지어야 하겠기에 절망 속에 있을 수만은 없습니다. 이제는 참다운 진리를 가지고 새로운 천지에 들어갈 수 있는 진리의 개방운동이 벌어져야 됩니다. 낙망과 절망에 부딪혀 있는 환경을 정비하고 단 하나밖에… Read More »
천성경 훈독 영상 (제1편 1장 4절 14~21항) from PeaceTV on Vimeo. 정·지·의 인격적인 하나님 14 하나님은 인간과 어떤 관계에 있느냐? 하나님이 인간과 관계를 짓기 위해서는 인격적 신이어야 됩니다. 인격적 신이 되려면 인간 같아야 됩니다. 인간에게 마음이 있고 몸이 있는 것과 마찬가지로 인간을 지으신 하나님도 인간과 더불어 공동목적을 가질 수 있는 그 본체라면 인간을 닮아야 됩니다.… Read More »
天一国経典天聖経訓読映像(第一篇 一章 四節 7~13項) from PeaceTV on Vimeo. 真の愛の根源であられる神様 7 神様は愛の根であり根源です。また神様は生命の根です。そして、神様は血統の根であり、良心の根です。私たちは、愛や生命、血統、良心を見ることもできず、触ることもできませんが、存在することを知っているのと同様に、神様を見ることもできず、触ることもできませんが、存在することが分かります。それでは、生命の根となり愛の根となる神様は、どこにいるのでしょうか。空中にいるのではありません。私たちの生命と愛の根の中に神様がいらっしゃるのです。ですから、感じることができないのです。 8 神様は真の愛の根です。根は、幹を通して芽と通じます。そして、枝は東西南北に伸びます。東西南北に伸びれば伸びるほど、芽も育ち、幹も育ち、根も育つのです。ですから、神様は、人間世界において、真の愛を中心とした縦的な父だということを発見できます。真の愛を中心とした縦的な父が創造主であられます。 9 愛の根が神様です。神様は根の中の根です。その愛の根に接ぎ木しなければなりません。そこに一つになれば、その愛の根に連結され、そこから芽が出て多くの枝が伸びれば、花が咲き、実を結びます。そこにおいて、主人の希望が花開くのです。芽が出て枝が伸びなければなりません。芽が出ただけでは滅びます。芽が出れば、枝を伸ばさなければなりません。中心となる枝をはじめとして、数多くの枝が出てこなければなりません。数多くの葉が生い茂ってこそ、そこに花が咲きます。それが育つ順序です。そのようにして、本来の完成段階を経ていくのです。 10 愛の主人は神様です。神様が愛の根です。根の中で中心の根は一つです。中心の根に通じる愛はどこにあるのか探さなければなりません。ですから、完全に神様のようにならなければなりません。神様の心と体が絶対的に一つになっているのと同様に、私たちも心と体が絶対的に一つになる息子、娘にならなければなりません。 11 善の神様は、犠牲と愛の神様です。愛は、犠牲の本質を離れてはあり得ません。愛する人のために犠牲になったとしても、その犠牲を犠牲とは考えません。犠牲になれば犠牲になるほど恵みを感じるのです。愛とは、そのような異なる性質をもっています。愛がどれほど大きいかを考えるとき、それを表すのは、必ず犠牲になるその量がどれほど大きいかによって、愛の大小、高低が決定されます。犠牲が大きければ大きいほど、大きな愛を表すのであり、犠牲が小さければ小さいほど、そこでは小さな愛を表すのです。 12 神様は絶対的な愛の存在です。神様は愛の対象である人間を創造し、御自身の愛をその上に注ぐことができるように願いました。そのようにすることによって、神様は自然に、男性と女性からその愛が返ることを期待しました。そうなれば、神様は無限の喜びを感じたはずです。アダムとエバは、まず自分たち同士が愛の中で一つとなってこそ、神様の愛の完全な対象となることができます。したがって、アダムとエバが一組の成熟した人間となって神様に似るようになり、神様の愛を受けてその愛を神様にお返しするためには、成長と成熟の期間が必要でした。 13 神様は、愛のために天地を創造されました。その愛の対象とは誰でしょうか。人間です。これが人間の価値です。神様は愛の王であられるので、父母の愛も、夫婦の愛も、兄弟の愛ももっています。東西南北、前後左右に、その本性をもって真の愛を備えることを願う相対が現れるときは、いつでも向き合える主体なので、神様は愛の大王であられるのです。
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