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訓読の恩恵と訓読に臨む心構え-「祝福家庭」2015-秋季号より

~「祝福家庭」2015年秋季号、天一国経典を訓読しよう、座談会より引用(全文はメンバーページに掲載されています)-3 訓読の恩恵と訓読に臨む心構え M:         それでは、訓読の恩恵について伺っていきます。 O:        訓 読の恩恵を考えるとき、マルチン・ルターの「主体と客体の変革をもって読む」という聖書釈義を想起します。聖書を読む際、最初は自分が主体になって読み始 めるのですが、深く読んでいくうちに聖書のほうから「あなたは何者か?」と問われると言います。そこで「自分は罪びとである」といった気づきを得、悔い改 めが始まるというのです。 私は、『真の父母経』を毎日訓読していく中、こういった大きな恩恵を受けました。どういうことかといいますと。私 は「父母様はどういう路程を歩まれたのか?」と関心をもって『真の父母経』を開くわけです。最初は自分が主体になって『真の父母経』を読み始めるのです が、次第にその時々、その場その場のお父様の生き方に出会うのです。 「こういう生き方をしてこられたのか」「神の前に完全なマイナスとなり、神と一心一体となって歩んでおられるんだな」「限界を超え、そして我々を愛しておられるし、我々を許しておられるんだ」と分かってきました。 そして、「このような父母様が、我々の親なんだ。我々を本当に救うために、ここまで開拓して歩んでこられたのか」「本当に完全投入のご生涯だった」という大きな恩恵を頂いたのです。 S:          ある教会の証ですが、「訓読心身浄化精誠」といつて、訓読を通して、自分の汚れを反省し、悔い改め、そして目的を決めて己を磨いていくという実践を続けています。 それができるようになってくると、家族関係がもっと良くなり、さらに家庭同士で交流する際も、良い授受作用ができるようになっているといいます。 T:        先に真の父母様という実体があります。その父母様が背後にある神の心情をかき抱いて実践なさり、そしてみ言を語ってくださいました。 み言訓読を通して、私たちは神の心情に出会うことができるんです。それによって、私たちはみ旨を果たし、さらに真の愛の実体を目指して実践していく力もまた与えられるということです。 M:         お父様が霊界に行かれた今、お父様にお会いすることのない一世や二世たちにとって、この三大経典、特に『真の父母経』は父母様と出会い、父母様を理解するうえですごく重要になってきます。 O:        『真の父母経』一冊で真の父母様の生涯と業績を一望できるわけです。今回、共に『真の父母経』日本語版の編纂に携わったメンバーが話していました。 「『真の父母経』を訓読して、『お父様のみ言を美しい宝石として一つにつなぐ』というお母様のみ言の意味が分かった」と。 S:          真のお母様のみ言があります。 「真のお父様のみ言や、全ての行跡は、原石と同じです。宝石です。私は、その宝石を最高に価値があるものにし、常に間近で愛せるよう、持ち歩きたいのです」(天一国経典『天聖経』十二・四・三・20) 「お父様の業績は、堕落した人類の前に宝石のような真理の『真のみ言』を下さったことです。このみ言が散り散りにならないで美しい宝石になり、天一国経典『天聖経』という本の中に一列に繋がれていることを思うとき、あまりにもうれしく、感謝です」(2013年6月10日) 訓読会から受ける恩恵はたくさんあるのですが、 一つは、真理の探究における出会いです。「悟った」「分かった」という率直な感動です。それから、お父様の生き様を目の当たりにしたところから来る感動…。いずれにしても反復する中に、悟り、つかみ取っていく世界です。 「読書百遍意自ずから通ず」と言われるように、訓読をしていく中でだんだん開かれてきます。 「お父様の生涯の日記だよ」と言われる『原理講論』は、神様から発せられた真理ですから、ある意味、哲学的、形而上学的で分かりにくい部分があります。しかし、繰り返し読んでいくうちに、「ああ、ここではこういうことを言わんとしているな」と分かってくるわけです。 M:         一日何時間とか、何回訓読するといったやり方で恩恵を受けたという証もありますね。訓読の恩恵を受けるようになる、何か心構えといったものがあるのでしょうか? S:          そのときどきの霊的背景や成長の段階で異なってきます。み言に集中できないときは忍耐して読む必要もありますし。先ほど申し上げた「読書百遍…」のよう に、訓読し続ける中で開かれる世界があります。大切なことは、み言の背後にある神様、真の父母様の心情と出会うこと、訓読を通して我々がみ言の実体となっ ていくということなんです。 T:        私の場合、「行」や「条件」で訓読していた時期があり ました。しかし、訓読しながら成長して個性完成をなし、さらに家庭完成、つまり幸せな家庭を目指すには、自分自身が神の心情と出会わなければなりません。 ですから訓読も、そこに流れる神の心情を感じたいという思いで行っています。 恩恵を引き出す効果的な訓読のやり方 M:         どのようにしたら訓読会が恩恵深い、効果的なものになるのか、具体的な内容を伺っていきたいと思います。 O:        訓読会においては、一人で訓読するのもいいですが、やっぱり「導き手」が非常に重要だと思います 例えば、内村鑑三は、聖書研究会を開いて聖書の言葉を解き明かすことによって、多くの人の魂を揺さぶり、後世に大きな影響を与えました。 「み 言」は、あらゆる問題を解決する真理です。お父様は、その「み言」に対し、「原理の本を中心として勉強しなければなりません」(天一国経典『天聖経』二・ 五・五・24)と語っておられます。私たちもみ言を訓読する場合は、『原理講論』をベースにして、理解を深めていく必要があります。 その日の訓読のみ言のポィントは何かを尋ねつつ、『原理講論』をベースに、「このみ言によって、こういう問題が解決される。こういう未来が開かれる」「こういう素晴らしい家庭になる」など、参加者の心に訴え、啓蒙していけるような工夫が必要です。 訓読会に参加する人たちに感動を与えられるよう、導き手は特にお祈りをして、よく準備をしたほうがいいでしょう。 S:         … Read More »

み言に侍る真の父母様の姿勢、真の父母様の生きた証『真の父母経』-「祝福家庭」2015-秋季号より

~「祝福家庭」2015年秋季号、天一国経典を訓読しよう、座談会より引用(全文はメンバーページに掲載されています)-2 み言に侍る真の父母様の姿勢 M:         3つの天一国経典がそろい、いよいよ本格的に基元節の伝統を培っていく時代に入りました。 天の伝統の中心が訓読生活だと思いますが、訓読会について、具体的な内容を伺っていきます。まず、訓読会の目的と意義について伺います。 S:          「訓読」という言葉自体、真の父母様から提示されました。それまでは「拝読する」「学ぶ」などと表現していたのです。「訓読」というと、まず浮かぶのが訓 読会を生命視される真の父母様のお姿です。どんなにお疲れでも、どんなに遅くお休みになっても、あるいは病床にあられた時でさえ、訓読会を欠かされたこと はありません。一心にみ言に耳を傾けていらっしゃいました。 み言を発信したのは、ほかでもない父母様ご自身です。そのみ言の基である父母様が、み言の前に絶対対象の立場に立っておられるのです。父母様が身をもって示してくださったこの「み言に聞く」という姿勢が、私たちにとっても非常に重要です。 M:         み言を絶対的中心として、み言に尋ね、み言に聞く、み言に返るということですね。 ただ訓読会というと、時間を決めて、ある時間にあるみ言を条件的に読む、というのが訓読会だとイメージしている人が多いのではないでしょうか。 S:          大事なことは、訓読しているみ言が言わんとしているメッセージ、み言の本質を見いだすことです。そして、その日、あるいは一週間、ひと月、ひいては一生涯を懸けて追い求め、私たちがそのみ言の実体になっていくことです。 T:        訓読の「訓」はみ言の川と書きます。私は、訓読とは自分の心の中に神様の愛が流れる川を作る作業ではないかと感じています。 私たちの心の中にはいろいろなごみが溜まっています。そのごみを洗い流すための川や堤防を作るのが訓読であり、そのごみをざーっと洗い流してくれるのが訓読の恩恵ではないかと。 神の愛がいつも流れるように、訓読を定着させていくのが訓読生活です。訓読によって、神主義の原点が築かれるんだと思うのです。 M:         訓読によって、み言を実体化させ、神主義の原点をつくり、私たちがみ言の実体になっていくということですね。 真の父母様の生きた証『真の父母経』 M:         O副院長は、『真の父母経』日本語版の編纂で訓読を重ねられたと思いますが、その中で感じられたことはありますか。 O:        読み合わせをする中で、真の父母様の歩みや心情に触れさせていただきました。涙で訓読を続けられないこともしばしばありました。 M:         例えばどういう箇所ですか。 O:        たくさんあるのですが、特に涙したのは、ダンベリーのところでした。 お父様が冤罪によってアメリカのダンベリー刑務所に収監されたのです。普通の人なら落ち込むところでしょう。ところが、お父様は「ダンベリーで神の愛を感じた」とおっしゃるわけです。 刑務所ですから、朝起きる時間から掃除や食事、仕事、寝る時間まで管理されています。睡眠時間もだいたい8時間取るようになっていました。その時間も、お父様は訓読や祈祷をされるなど、天の前に精誠を尽くしておられたのですが。 お父様は、神のみ旨を携えて、長年、不眠不休で人類の救いのため、神の解放のために歩んでこられました。その間、お父様の睡眠時間は、毎日1、2時間あるかないかという状態だったようです。 そのお父様が、ダンベリーの生活はむしろ恵みだったと神様に感謝していらっしゃいました。「こうやって、神様は私に休む時間を与えてくれた」「刑務所に送り込んででも、自分を安らかにさせようとしてくださる神の愛を感じた」と。 このような表現に出会ったとき、我慢しきれなくて嗚咽してしまいました。 S:          『真の父母経』には真の父母様の自叙伝に通ずる世界があるかもしれません。父母様の生きた証といいますか、実際に父母様が体験し、呼吸し、あるいはぶつかってこられた世界が克明に記録されているわけですから。 それ自体が、我々が目指すべき世界ですね。自分自身もそういう道を行かなければいけないという、極めて具体的な教えとなって私たちの霊人体の中に入ってくるのです。 (つづく)

真のお母様の偉業、三大天一国経典の編纂-座談会-「祝福家庭」2015-秋季号より

~「祝福家庭」2015年秋季号、天一国経典を訓読しよう、座談会より引用(全文はメンバーページに掲載されています)-1 真のお母様の偉業、三大天一国経典の編纂 M:         まず、3冊の天一国経典が発刊された経緯について伺います。 S:          天一国経典は真のお母様のご指導のもと、編纂されたものです。最初にお母様が指示を出されたのが『真の父母経』ですね。 M:         『真の父母経』が最初ですか。O・教会成長研究院副院長は、『真の父母経』日本語版の発刊に直接携わってこられましたね。 O:        はい。お母様が『真の父母経』の編纂を願われたのが、お父様が入院していらした時でした。それを受けて、2012年8月23日に金榮輝先生を委員長とする編纂委員会が発足したのです。 S:          編纂のご指示は、最初に『真の父母経』、それから聖和後、天一国経典『天聖経』と『平和経』の順ですね。実際に奉呈されたのは、2013年の基元節に韓国語版の天一国経典『天聖経』と『平和経』、2015年の基元節2周年に『真の父母経』です。 M:         基本的なことですが、3冊のそれぞれの意義と特徴についてはどうでしょうか。 O:        当時、八大教材教本『天聖経』が発刊されていたのですが、実のところ、この本には「神様王権即位式」(2001年1月13日)からお父様のご聖和(2012年天暦7月17日)までの期間に語られたみ言がほとんど収録されていなかったのです。 S:          「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言も入っていませんでした。お父様が「生涯全体の結実として宣布したみ言だ」と何度もおっしゃっていたのですが。 O:        ええ。そこで、真のお母様のご指導により、それらのみ言を含めた天一国経典『天聖経』が編纂されることになったのです。 また、お父様は生涯において何百回もの講演をしていらっしゃいますが、それらも未整理のままの状態でした。『平和経』には、178篇の講演文が収録されています。 T:        講演文は、真のお父様が全人類に向かって、真の父母として、万王の王として、公式的に宣布されたみ言ですね。 O:        本当にそうです。『平和経』は極めて重要な、読みごたえのある一冊です。 S:          『真の父母経』には、メシヤであられる真の父母様の生涯路程、そして、そのご業績が体系的にまとめられています。 これら3冊の天一国経典が編纂されたことは、真のお母様にしかできない、偉大な実績だと言えます。 『真の父母経』は三大経典の中心 M:         三大天一国経典の編纂は、み言を未来永劫、正しく伝えていくために、必要不可欠なことだったわけですね。その3冊の中で最も中心になるのは、どれでしょうか。 S:        3冊それぞれに目的がありますが、やはりこの度発刊された『真の父母経』となるでしょう。 み言の結実であり、その実体である父母様ご自身を証していますから。 『天聖経』は、祝福家庭や食口たちが携えて、日々の生活の中でしっかり学んでいくべき基本的な内容ですし、『平和経』は、世界に展開する統一運動における父母様のメッセージの集大成ですね。 O:        『真の父母経』は、人類ばかりでなく天の父母様(神様)までもが、最も読むことを願っておられる本です。神様と人類の最大の関心は、真の父母様の生涯路程とその業績にあるからです。 なぜなら、キリスト教の中心は、どんなに偉大な教皇や神学者が現れたとしても、イエス様であり続けました。ましてや、真の父母様は人類始祖の立場に立たれたお方です。未来永劫、人類の中心存在は、真の父母様しかおられません。 文鮮明・真のお父様、韓鶴子・真のお母様について知ろうと思う人は誰でも、『真の父母経』を学ぶことになります。 T:         私も早く読みたいとずっと待っていましたから、この度の『真の父母経』の奉呈を本当に嬉しく思っています。 S:          『天聖経』や『平和経』を訓読しながら目指していくのは、私たちがみ言の実体となるということですからね。その「み言の実体」が真の父母様でいらっしゃいます。 その意味で、真の父母様の生涯路程を記した『真の父母経』は、自ずと三大天一国経典の中心になりますし、それがゴールであると捉えています。 T:        今のお話を聞いて、『天聖経』と『平和経』のみ言を、具体的に生きた人物の歩みを証したのが『真の父母経』であることを改めて感じました。み言だけではなく、生きた実体がそこにあるんですね。 ユダヤ教、キリスト教、そして統一教会と、神の復帰歴史を担ってきた立場ですが、キリスト教には、イエス様の歩みは、公的生涯以外は詳細な記録はありません。そういう意味でも、『真の父母経』のもつ意義は非常に大きいですね。 (つづく)