「真の父母経」よりCBG-B3-C3-S5:6~11-日本開拓伝道

By | June 24, 2016

6     日本とお父様は、一対一で見れば怨讐です。日本統治下で、たくさんの拷問を受けました。しかし、神様は怨讐を打てとは命令されません。怨讐に着る物がなく、食べる物がなければ、「その人のために施しなさい」と言われるのです。ですから、お父様は、日本に崔奉春を宣教師として送りました。日本全体が反対し、韓国自体が反対することを知っていました。しかし、お父様は、数十年後にはそれが韓国のためになり、日本のためになることを知っていました。両国の国民が手を合わせて感謝する日が必ず来ることを知っていたので、いかなることがあっても日本に宣教師を送ったのです。

統一教会に対する弾圧が絶頂にある時、日本宣教師の派遣を決定しました。一人の人手も惜しいその時に、涙をこらえて日本に人を送ることには、誰も知り得ない苦悩があったのです。死を覚悟して成し遂げた業績は、日本の歴史上において消し去ることができない事実です。

今になって韓国は、お父様に対して感謝しています。神様は日本を愛しています。お父様も、日本の歴史上、誰よりも日本を愛しました。日本人以上に日本を愛するのです。神様が愛する日本であれば、日本人以上の心情で日本を愛さなければなりません。

7     日本は私にとって怨讐ですが、私が日本をどの国よりも愛することによって、今後、アジアで神様のみ旨を展開できる相対的基準になり得るのです。そのようにしなければ、主体国の前に、相対的国家を探し出すことはできません。日本には歴史的にそのような使命があるので、誰よりも愛する心をもち、日本を救うために借金しながら宣教師を送ったのです。それは、日本のためでした。

8     私たちが日本の宣教事業を開拓した時が一九五八年です。その時は自由党の政権下にあり、韓国と日本の国交正常化に激しく反対していた頃でした。そのような状況で、大韓民国が生き残るためには、どのようにしなければならないのでしょうか。

北朝鮮は、金日成主席を中心としてソ連と中国が後援する立場にあることは間違いないので、この難局を解決する一つの突破口を開くためには、日本を通していかなければならないと考えました。ですから、日本に宣教師を派遣して活動させたのです。その当時は日韓の間に外交関係がなかったので、大韓民国の統治下にある一国民として、日本に宣教師を派遣することは困難な時代でした。

9     私たちのみ旨が世界的なみ旨ならば、隣国の日本にもみ旨を展開すべき責任があり、世界の各国にもみ旨を展開すべき責任があります。ですから、私たちは受難の道を経ながらも世界に宣教師たちを送らなければなりません。世界的な責任を果たすにおいても、食べて余ったり、使って余ったりするからするのではありません。厳しい中でするのです。私たちが日本を開拓する時もそうでした。当時、借金をして宣教師を日本に送りました。なぜなら、日本を誰よりも愛したという条件を立てなければならないことを知っていたからです

宣教師を送り出す時、「あなたは滅びたとしても、日本を救わなければならない」と言いながら送りました。「死んでも行かなければならない」とせき立てたのが、ついきのうのことのようです。足もとに火がついて、自分の生活も厳しいのに、借金をしてそのようなことをするので、理解ができないというのです。このように、み旨の道は、良い時に平坦な歩みをするのではありません。

10    お父様は、日本に出発する宣教師に、「あなたが無事に到着するまで、眠らずにあなたのために祈り、あなたのために精誠を尽くすつもりだ。死んでも任務を果たすまでは戻ってきてはいけない」と言いました。

彼は、釜山を通って日本に着くなり捕まって、広島の吉浦拘置所に拘留されました。その後、いくつかの収容所を転々とさせられ、韓国に送還される身となりました。しかし、お父様から切符をもらい、命を懸けて行った男として、たとえ死ぬようなことがあったとしても、帰ることはできません。送還のために下関に向かう途中、列車から飛び降りようとしたのですが、速度が速く、トンネルも多かったので、それはできませんでした。そうして下関に着いて、送還されるのを待つだけという状況になりました。送還されればすべてが崩れてしまうのです。ですから、知恵を絞って、断食をしました。

一週間、十日間と断食をするので、熱病のようなものにかかって、医者から心臓病と診断されたのです。そうして治療するために病院に入院しているときに、逃げ出してしまいました。その後、伝道をして、日本統一教会の勇士たちをつくり上げたのです。

11    お父様は、日本に宣教師を送りました。天運は、人間がつくった制度と法を超越したところから訪れるのです。私は天運を知っているので、そこに備えようとするため、常に死が交錯し、苦痛が交錯し、迫害が交錯するところを歩んできました。人が望むままにしていれば、何の迫害があるでしょうか。そのようなときは相いれません。遮る時には遮るのです。ですから、統一教会員たちは、このような道を行くのです。

(CBG-B3-C3-S5:6~11)