Category Archives: み言

Cham Bumo Gyeon: from B5-C2-S3

12 I toured around Korea often. I thought as I drove over the rough roads of Gangwon Province, “If only this road were a little wider, even by a foot!” This was something that the driver felt as well. Therefore, when we pave our road, it should not be a narrow one that can be… Read More »

「真の父母経」第五篇、第二章、第三節より

12    お父様は、地方巡回をたくさんします。江原道の険しい道を自動車で走りながら感じたことは、「道が少しだけ、一尺だけでも広ければ」、という残念な思いでした。それは、運転手と搭乗者が共通に感じたことでした。私たちは、個人や家庭がかろうじて通れる狭い道を築いてはいけません。道を築くときに、さらに苦労して犠牲になったとしても、広く築かなければならないというのです。 それでは、歴史的な運命の道を開拓する統一教会の食口たちは、どのような道を築かなければならないのでしょうか。私たちは、この民族と世界人類のために歩む開拓者です。 皆さんには、目に見えないつるはしと熊手鍬(くわ)を持たせています。子孫たちから、「これは、もう少しこのようにしてくれていればよかった」という評価を受けてはいけないのです。「私たちの先祖はどのようにしてこのような道を歩んだのだろうか」と振り返らせることができる道を築かなければなりません。皆さんは、そのような道を築かなければならない開拓者です。

Cham Bumo Gyeong Book5, C2, S1:22

I am responsible for making you carry out this work. This is why I hope that, when you stand in such a position, you will not complain about anyone. 22 We need to march forward toward the day when the sound of laughter rings and resonates throughout the Korean Peninsula and all the world, testifying… Read More »

「真の父母経」第五篇、第二章、第一節:22

このような事情を展開させたこの師にも、責任があります。ですから、父母様が願うのは、皆さんがそのような立場に立つとき、誰かに対して不平を言ってはいけない、ということです。 22    私たちは、「天国を成し遂げた」と言って笑う声が、三千里半島と全地球上に高々と響き渡る、その日のために行進しなければなりません。このような立場にいる私たちなので、休む暇がありません。御飯を食べていても、涙を流しながら痛哭する統一信徒たちにならなければなりません。 なぜ、そうでなければならないのでしょうか。神様が願った(地上)天国を築いてさしあげ、イエス様と聖霊がすべては成し遂げることができなかった恨と、満足に食べることもできずに祭物の過程を経ていった千々万の聖徒たちが、地上天国を完成することができなかった復帰の恨を解いてあげるためです。そのようにしてこそ、彼らが解怨成就されるのです。このような途方もない内容を知り、この途方もない使命を背負った私たちに、休む暇がどこにあるのかというのです。脚が折れるとしても、死ぬとしても、全力を尽くして行かなければならない復帰の道が残っています。ですから、父母様は皆さんに「三年路程を行きなさい」と命じました。 その道を行くときには、誰もが死を覚悟しなければなりません。一片丹心で自分が立てた志を果たすためには、寝ずにおなかをすかせながら、冒険をしてでも行かなければなりません。このような事情を展開させたこの師にも、責任があります。ですから、父母様が願うのは、皆さんがそのような立場に立つとき、誰かに対して不平を言ってはいけない、ということです。 皆さんはそのような立場で倒れ、犠牲になっても、嘆いてはいけないというのです。天国を建設するために足場を築く勇士に対して、どうして怨讐の矢が向かってこないでしょうか。どうして怨讐が自らを包囲することがないでしょうか。そのようなことがあり得るというのです。 しかし、師のために、神様のために生きる思いは、自分自身のためのものではなく、この民族のためのものであり、世界のためのものです。ですから、その場は神聖な場です。たとえその道が遠くても、近道を探し求めて、喜んで行かなければならないのが、統一勇士たちの歩みです。 (015-342, 1965/12/07)

訓読資料:2016-07-07

天一国経典、特に「真の父母経」の訓読が現在行われている40日精誠期間に推薦されています。 それに加え、 天一国原聖物下賜式における 真の父母様の祝祷 9月18日、ワシントン大会40周年を迎える準備として、 アメリカと神のみ旨、 America And God’s Will を推薦いたします。

America And God’s Will

[print-me target=”body”]     日本語 on September 18, 1976 at Washington Monument Rally Reverend Sun Myung Moon Honorable Citizens of the United States and world delegates: I would like to express my heartfelt thanks and appreciation to all of you for “Meeting us at the Monument.” Tonight we are celebrating America’s Bicentennial in the Name of God. For… Read More »

「真の父母経」よりCBG-B3-C3-S5:6~11-日本開拓伝道

6     日本とお父様は、一対一で見れば怨讐です。日本統治下で、たくさんの拷問を受けました。しかし、神様は怨讐を打てとは命令されません。怨讐に着る物がなく、食べる物がなければ、「その人のために施しなさい」と言われるのです。ですから、お父様は、日本に崔奉春を宣教師として送りました。日本全体が反対し、韓国自体が反対することを知っていました。しかし、お父様は、数十年後にはそれが韓国のためになり、日本のためになることを知っていました。両国の国民が手を合わせて感謝する日が必ず来ることを知っていたので、いかなることがあっても日本に宣教師を送ったのです。 統一教会に対する弾圧が絶頂にある時、日本宣教師の派遣を決定しました。一人の人手も惜しいその時に、涙をこらえて日本に人を送ることには、誰も知り得ない苦悩があったのです。死を覚悟して成し遂げた業績は、日本の歴史上において消し去ることができない事実です。 今になって韓国は、お父様に対して感謝しています。神様は日本を愛しています。お父様も、日本の歴史上、誰よりも日本を愛しました。日本人以上に日本を愛するのです。神様が愛する日本であれば、日本人以上の心情で日本を愛さなければなりません。 7     日本は私にとって怨讐ですが、私が日本をどの国よりも愛することによって、今後、アジアで神様のみ旨を展開できる相対的基準になり得るのです。そのようにしなければ、主体国の前に、相対的国家を探し出すことはできません。日本には歴史的にそのような使命があるので、誰よりも愛する心をもち、日本を救うために借金しながら宣教師を送ったのです。それは、日本のためでした。 8     私たちが日本の宣教事業を開拓した時が一九五八年です。その時は自由党の政権下にあり、韓国と日本の国交正常化に激しく反対していた頃でした。そのような状況で、大韓民国が生き残るためには、どのようにしなければならないのでしょうか。 北朝鮮は、金日成主席を中心としてソ連と中国が後援する立場にあることは間違いないので、この難局を解決する一つの突破口を開くためには、日本を通していかなければならないと考えました。ですから、日本に宣教師を派遣して活動させたのです。その当時は日韓の間に外交関係がなかったので、大韓民国の統治下にある一国民として、日本に宣教師を派遣することは困難な時代でした。 9     私たちのみ旨が世界的なみ旨ならば、隣国の日本にもみ旨を展開すべき責任があり、世界の各国にもみ旨を展開すべき責任があります。ですから、私たちは受難の道を経ながらも世界に宣教師たちを送らなければなりません。世界的な責任を果たすにおいても、食べて余ったり、使って余ったりするからするのではありません。厳しい中でするのです。私たちが日本を開拓する時もそうでした。当時、借金をして宣教師を日本に送りました。なぜなら、日本を誰よりも愛したという条件を立てなければならないことを知っていたからです 宣教師を送り出す時、「あなたは滅びたとしても、日本を救わなければならない」と言いながら送りました。「死んでも行かなければならない」とせき立てたのが、ついきのうのことのようです。足もとに火がついて、自分の生活も厳しいのに、借金をしてそのようなことをするので、理解ができないというのです。このように、み旨の道は、良い時に平坦な歩みをするのではありません。 10    お父様は、日本に出発する宣教師に、「あなたが無事に到着するまで、眠らずにあなたのために祈り、あなたのために精誠を尽くすつもりだ。死んでも任務を果たすまでは戻ってきてはいけない」と言いました。 彼は、釜山を通って日本に着くなり捕まって、広島の吉浦拘置所に拘留されました。その後、いくつかの収容所を転々とさせられ、韓国に送還される身となりました。しかし、お父様から切符をもらい、命を懸けて行った男として、たとえ死ぬようなことがあったとしても、帰ることはできません。送還のために下関に向かう途中、列車から飛び降りようとしたのですが、速度が速く、トンネルも多かったので、それはできませんでした。そうして下関に着いて、送還されるのを待つだけという状況になりました。送還されればすべてが崩れてしまうのです。ですから、知恵を絞って、断食をしました。 一週間、十日間と断食をするので、熱病のようなものにかかって、医者から心臓病と診断されたのです。そうして治療するために病院に入院しているときに、逃げ出してしまいました。その後、伝道をして、日本統一教会の勇士たちをつくり上げたのです。 11    お父様は、日本に宣教師を送りました。天運は、人間がつくった制度と法を超越したところから訪れるのです。私は天運を知っているので、そこに備えようとするため、常に死が交錯し、苦痛が交錯し、迫害が交錯するところを歩んできました。人が望むままにしていれば、何の迫害があるでしょうか。そのようなときは相いれません。遮る時には遮るのです。ですから、統一教会員たちは、このような道を行くのです。 (CBG-B3-C3-S5:6~11)

真の父母経より:CBG-B3-C3-S4: 11~13-韓国での開拓伝道

11    韓国で開拓地に行って伝道した当時は、一日働いた稼ぎで一日暮らすのが大変でした。一日働いた稼ぎで、一食食べて暮らすのが大変な時だったのです。若い人たちが道を歩きながら、足がもつれることがいくらでもありました。伝道師たちがある町に開拓に行ったのですが、食べる物がないとき、その町で働こうとすれば、町にうわさが立って迫害がひどくなりかねないので、仕方なく十里以上離れた所に行って働いた人たちがたくさんいます。 伝道師たちが本部からお金を持っていって伝道したのではなく、そのような事情の中で開拓伝道をしたのです。それでも、絶対に食口たちに自分の事情を話しませんでした。ですから、食口たちは分かりません。六ヵ月たち、一年たってからそれを知っては、痛哭するのです。そうして、指導者に弁当を持ってきて食べさせてあげる運動が起きました。ですから、その御飯を食べなければならない指導者の心はどれほど悲惨でしょうか。また、弁当をくれたその学生が、学校に行って昼食を抜くことを考えざるを得ないのです。このような中で、互いにそれを克服しながら、「私たちは死んでもみ旨を成し遂げよう」と言って、心情的な連帯感に浸っていたのです。